宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

影との戦い

20110814
2011年8月14日中城湾

すっかり忘れていた、私は昨年1月、名護市長選挙の際に「誘致派誕生」を記していた。そのときどこに住んで何をしていたのかを思い出すのは時間がかかるが、一気に書き上げたことだけは覚えている。未読の方で興味のある方は一読してください。(「誘致派誕生」→PDFファイル
市民投票の結果を反古にした比嘉鉄也名護市長の後継として岸本建男市長が誕生して以来、3期12年続いた新基地建設を受入れる名護市政に終止符を打って欲しいと心の底から願っていた。

そのことは成されたが私が心から安らげないのは、民主党政権辺野古回帰という愚かな結論に帰着したということだけではなく、「誘致派」の問題が火種として残ってしまったことにある。

火種

曰く「岸本建男は基地を造るつもりはなかった」という稲嶺名護市長の選挙時の発言は「火種」である。
選挙戦を通じて、稲嶺氏と現職市長であった島袋氏は故人となった岸本元市長の後継争いを演じていた。岸本氏の遺族を支持者として包摂した稲嶺陣営としては、先の発言(「造るつもりはなかった」)は島袋陣営からの岸本建男の切断であり、基地誘致という不名誉から故人の名誉回復を図る行為でもあったのだろう。心情と戦略はわからなくもないが、それはあまりにも強引で事実を無視し捩じ曲げる歴史修正主義者の如くである。

「岸本建男は基地を造るつもりはなかった」などという発言の政治的効果・問題は大きい。
政府側からみれば、代替施設協議会等を通じて交渉し続けてきた沖縄側(受入側)がそうであったとしたら信頼できるものではない。そのような発言を臆面も無く発せれる政治家は交渉相手には決してなれない。稲嶺進市長は「反対派」であるのだから痛くも痒くもないかもしれないが、市長は行政の長である。名護市長がそのような不誠実な首長であったということは、名護市民にとっていいことではない。守屋氏が著書(「「普天間」交渉秘録」)で言及する沖縄側の狡猾な不実さを裏書きするようなものである。百害あって一利もない。
名護市の「誘致派」からみれば、比嘉鉄也氏の後継として思想信条は異にしても沖縄全体と名護市(ヤンバル)のことを考え政府と対峙し続けた岸本建男の行為を、死人に口無しで一方的に断じる不当な行為にしかみえないだろう。

拙速な切断

市議会において岸本市長の基地受入れ政策と闘ってきた私は、彼が基地を造るつもりはなかったとは微塵も思わない。問題はそんなところにあるのではなく、一坪反戦地主であった彼でさえ基地受入れの決断に追い込まれ、そしてどのように首長として政府と対峙し、政府はどのように名護市を沖縄を扱ってきたのかを考えるべきである。そうしなければ、あまりにも岸本建男に失礼だし彼は浮かばれない。

拙速に岸本建男を「誘致派」から切断することは、私たちが「過去現在」から学ぶべきものを歪めてしまい「未来」を創る真の力を殺ぐ。

沖縄の自民公明は今でこそ表向きは県外移設を求める姿勢を示しているが、数年後には確実に訪れる名護市長選挙で「誘致派」の動向と違う候補者を立てるとは想像もできない。
政権交代への期待に大きくシーソーが動いたこの数年から、辺野古回帰に至った現在、県民世論がどのように動いていくのかも予断を許さない。
「誘致派」の諸君を県民世論から大きく逸脱した特異な存在として位置づけることは危険であり、私にはできない。

闘争の深部

「どんなに沖縄が反対しても、国は造ると決めたら造るんだから」という諦めの「だから利益を求めるのは当たり前だろう」という開き直りは、そんなに惨い人でなしの言説ではない、寧ろ庶民の言説である。
政府と対峙していくには「誘致派」を拙速に切断するのではなく、彼らの言い分に耳を傾け対話していく必要がある。そうすることで、日米両政府の差別的で不当な頸木から共に脱していかなければならない。ポストではなくコロニアルは現在進行形であり社会の隅々に浸透している。闘争は社会の上っ面だけではなく深部で行われる。「誘致派」の諸君が支持を調達しようとしている層を切り捨てること無く闘争を続けるには、「誘致派」と真っ当に向き合い酌むべきところは酌みコロニアル状況を固定化しようとする敵を撃つ言葉(武器)をそこに探す必要がある。

普天間飛行場代替施設問題10年史 決断」(北部地域振興協議会刊)という「誘致派」の諸君の出した記録を読んでも、根底に「琉球王朝以来の南北格差」や「ヤンバルの貧しさ」から発する「振興」への渇望は迫力がある。米軍再編閣議決定で雲散霧消した99年閣議決定にあった「北部振興」が復活し希求され続けている現実を我々は押さえておく必要がある。

原発立地自治体の首長たちのド腐れさ加減が報道される。沖縄の首長たちも様々な利権や立場を持ち、きれいごとばっかりではないだろうが、これだけ軍事植民地として構造的にがんじがらめにされても政府に是々非々で対峙していく姿勢を堅持(※)し続けているのは、現状の厳しさと沖縄戦〜米軍統治の歴史、民衆の運動があるからだろう。やがてそれらも風化する。安波などで経済振興を求めて基地誘致に走る人々がいるのも現実である。危機感を持って、沖縄のおっさんとしては自らを律しなければならない。

影との戦い

「誘致派」について考えるために、とりあえず下記三つの資料が手元にある。後は新聞報道や諸々の公になっている資料に目を通すことになるだろう。私自身が当事者と話してきた事柄は、検証されようもないことだからできるだけ避けて通ろうと思ってる。大事な記憶は検証できる事実や記録を取り上げる形で活かしていく。

普天間飛行場代替施設問題10年史 決断」(北部地域振興協議会刊)
「バランスある解決を求めて」(牧野浩隆著)
「「普天間」交渉秘録」(守屋武昌著)

新基地建設を受け入れてきた年月は、失われた10年という言い方もされたが、本土記者や識者からは「双頭」の沖縄という表現も出ていた。双頭とは賛成と反対に分裂する沖縄のことなんだろう。「そのどっちが本当の沖縄なんだ」などというナイーブな発言は無責任から発せられる吐露である。ゲド戦記の「影との戦い」の如く、沖縄という主体は光と影を持ちそのどちらもが沖縄である。新基地建設を完全に終わらせるためには、そうさせている構造を見失うこと無く「影との戦い」を行わなければならない。
日々の暮らしの糧を得る道を模索し続ける立場で、私がどれほどのことを思考しうるか記録できるか心もとないが、やらなければならない。それが沖縄という共同体と私を切り結ぶ帯紐である。

名護市が選挙等で決断を迫られるまで数年はある。私の生活の現状では落ち着いて書いたり考えたりすることも難しく、時間はかかるだろうが持続的に思考していきたい。しかし我ながらしつこいおっさんだとは思う。「誘致派」のみなさんもしつこいけど^^

※仲井真県知事の現在の姿勢を支持・評価する革新支持層も多いだろう。考えてみれば、革新左翼の活動家や反対派からは叱られるかもしれないが、稲嶺県知事-岸本名護市長ラインでの使用期限や軍民共用などの「条件」もギリギリの地点での踏ん張りだったのかもしれない。…しかし私は名護市でみた、その「条件」がぼろぼろになりながらも建設計画だけが進んでいくおぞましい姿を。それに命を賭して抵抗する人々がいることを。それ故、どうしても私には「造るつもりはなかった」という発言は是認できない。