ストーカー
前原誠司という衆院議員がいる。民主党の党首も務めたことがあり、民主党政権では沖縄担当大臣や外務大臣も歴任した。
民主党政権が辺野古回帰した昨年7月末には沖縄担当大臣として沖縄入りし、名護市長や県知事に「陳謝」したことが報道されている。(2010.7.31/読売新聞)
翌8月には、東京で前名護市長や辺野古・豊原の両区長と秘密裏に会談していることが報じられている。地元沖縄の琉球朝日放送のニュースをみると、「秘密」のありかたの強引さに笑ってしまうが、これが実態であり笑ってしまうだけではすまない現実がある。
〓5月と7月
前原衆院議員は、今年の5月にも沖縄を訪れ名護市長と面談し、謝罪と辺野古移設への理解を求めた。基地建設に反対する立場の名護市長は「沖縄には戦後長い間の負担があり、これ以上新しい基地を受け入れることはできない。中枢で頑張ってきた(前原氏の)発言は大きい。市民の思いを受け止めてほしい」と反対の意思を語ったことが報道されている。(2011.5.16/沖縄タイムス)
それから一月半ほどを経た7月、前原氏は自民党の元防衛長官らとつくる超党派の「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」役員の一員として沖縄を訪れ、「どの政党が与党になろうと、国益、安全保障、防衛の観点から揺るぎなくやっていく」と発言している。(2011.7.9/読売新聞)
「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」は、辺野古への新基地建設を容認する前名護市長らとのみ懇談し、現名護市長を完全に無視する形をとった。名護市長は沖縄タイムスの取材に対し「容認する一部の人々だけと会い、それを発信するやり方はおかしい」と不快感を示した。(2011.7.10/沖縄タイムス)
〓「推進派」との「饗宴」
「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」と名護市の(かつては「条件付賛成派」と呼ばれた面々だが、現在では自ら堂々と「推進派」を名乗る)県内移設推進派の面々との懇談は、琉球朝日放送のカメラが入って報道もされている。酒も入っているだろうとはいえ、推進派の面々は歯切れよく振興策と基地建設のリンクをいい、いわゆる良心的な反対派からは蛇蝎のごとく嫌われる発言が飛び出してくる。この「饗宴」を報じたニュースの映像は琉球朝日放送のサイトでまだみることができるので、ぜひ後学のためにみておいたほうがいい。
〓前原の狙い
前原誠司衆院議員のこのような動向について、沖縄タイムスでは8月1日の紙面で四人の識者(佐藤学/田中宇/佐藤優/我部政明)に「狙い」を論じさせている。前原衆院議員を異様に擁護する佐藤優の見立て以外は、それぞれ納得できる論ではあった。残念ながらウェブではみれないので、読みづらいとは思うがiPhoneで撮った画像をアップする。(ウェブ上で記事が読めるところと出偶えればそこのリンクを紹介します)
〓「推進派」のパイプ
グアム移転計画については、米国防総省が議会に基本計画を提出できていないなど、移転経費の不透明さや計画の杜撰さが明らかになりつつある。(2011.8.3/沖縄タイムス)
議会が予算を認めなければ、米国は日本側が全額負担をしない限りこのまま進めることはできない。日米合意は、事実上リセットされる方向に向かって動き出しているといってもいいんだろう。
このような状況での前原氏らの行動は、米国政府(国防総省)向けのアピールであることは想像に難くない。曰く、日本政府は日米合意を履行するために本気であり行動している。そのことが米議会に伝わり事態が好転していくことを狙っているのか知れないが、東北大震災からの復興という課題を抱える日本政府が湯水のごとく金を注ぎ込むことは不可能であり、米国もそこは見切っているだろう。…事態の行く末は様々なアクターがあり不透明だが、辺野古への新基地建設は日米合意されたとはいえ実行可能性は薄くなっていると思われる。
気になるのは、先ほど紹介した琉球朝日放送が報じている「饗宴」である。名護市の「推進派」は、米軍再編協議で日本側の守屋氏が陸上案で決着しようと動いているときに、当時の岸本名護市長が「浅瀬案」容認発言を(新聞記事に書かせるべく、周到に取材させ報道させたり)して協議の推移を結果的に米側を味方につけるよう揺さぶった過去がある。おそらく「推進派」には、かつてのメアのような米側要人とのパイプがある。「推進派」(といっても高々名護の田舎のおっさん)が出していた「浅瀬案」を日米協議で米側が支持していたのも、彼らには何らかの回路があることは明らかだろう。占領者である米側としては占領地である沖縄に占領に利するパイプをつくりだすのは当然のことだろう。
〓日本政府vs沖縄
名護市の「推進派」を、その粗暴な田舎者ぶりからだけ判断すると見誤る。「饗宴」での彼らの浮かれぶり、開き直りぶりは、何を意味するのか。
「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」が名護市長を無視して「推進派」とのみ会ったことに関して、先にリンクを紹介した沖縄タイムスの記事中で名護市長は
「昨年の名護市長選に始まり、市議選、知事選と、『県外移設』を求める民意は示されており、県内移設ができる状況にはない。地域主権の時代と言いながら、それに逆行するような言動は恥ずかしい」
と批判している。確かに「県外移設」を求める民意は示されているが、その民意を認めないという意思を日本政府は執拗に表明し続けている。恥ずかしいと皮肉ったからといって堪えるはずがない。
選挙に勝ち負けがあるのは当然で、次の選挙で「推進派」が勝利する名護市も十分想像できる。
市民投票の勝利で、基地建設は断念されなかった。それがこんなにも長い間、尾を引き摺り続けている。岸本建男が条件付きで受け入れたことで、日米両政府には名護市(辺野古)しかないと思わせてしまった。当時の沖縄/名護市を追い込んだマジョリティの沈黙も含めて、真っ向から批判し断念させる宣言が必要とされている。
(了)
〓補遺
私は「岸本建男市長は基地を造るつもりはなかった」という現名護市長の選挙時のテレビ報道された発言を、いまでも重く受け止めている。岸本氏はいわゆる「推進派」ではなかったろうが、彼および彼に極近い関係者が「名護や北部は経済振興が必要なの、基地に反対するだけでそれができるのか」と発言したことを私は忘れない。マスコミの取材者もみんな聞いたことがあるはずである。まるでそのような過去が無かったようにされるのはおかしい。
もとより政治とは闘争であり、選挙によって勝ったり負けたりがあるのは民主主義の重要なポイントである。選挙によって争われる争点が明確になり、有権者によって選択されることが大前提である。「岸本建男市長は基地を造るつもりはなかった」とする発言は、そこを踏みにじり曖昧にしたまま宙づりにする行為である。名護市という地域社会の中では選挙に勝つために必要な方法だったのかもしれないし、そのことを現在の地点から非難するつもりはないが不誠実だとはおもう。現名護市長は「反対派」だろうが、名護市政に「推進派」のしっぽは確実に残っている。
「推進派」がいわれているように「一部の人々」(誰もが一部の人々でしかないが)で、大きな影響力を持ち得ないならそれはそれでいいが、存在しない透明人間のように扱っていたら、新基地建設に反対する人々は手痛い思いをすることになるだろう。
私はしばらく、暇つぶしのような日々の思考を「推進派」の研究にフォーカスをしぼろうと思う。
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