みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

KABUKI物語

「2プラス2」で普天間移設先として再確認された名護市の市長が昨日(7月5日)上京し、政府に反対意思を伝える要請行動をおこなったらしい。首相や大臣との面会を求めたが叶わず、防衛省では事務方の対応(報道をみると具体的には今回の名護市長の要請行動の調整役の玉城デニー衆院議員の国会内の事務所に防衛省事務方を呼びつけて、政務三役が対応しないことの説明をさせた)になり、名護市長がたいそう憤ったことが報道されている。

一連の新聞記事に目を通すと、今回の行動は稲嶺進名護市長が発想し、要請先への調整を衆院議員玉城デニー氏が行ったらしい。市長としては就任以来反対し続けているにも関わらず日米合意されたことに公式に抗議表明・行動しておこうということだったろうが、政府、とりたてて防衛省は強硬で北沢大臣が「聞く耳を持たないでいきなりトップにというよりは、状況を把握した上で提言してほしい」と発言している。これは名護市が6月22日に沖縄防衛局長からの「2プラス2」に関する報告説明を拒否したことが背景にあるらしい。

説明責任を果たしたかのようなアリバイに使われることを忌避するために、説明を受けることを拒否するのは往々にして行われることである。稲嶺進名護市長は「事務方だと『説明』ではなく『報告』となり、次元が違う。それでもって『市に説明しました』とされたら困る」(沖縄タイムス2011.7.6)と反論するが、北沢防衛大臣の面会拒否の理由にまんまと使われてしまった。

名護市長が行動することに意味がないわけではないが、14年近くの長い経過を知るものとしては、KABUKI PLAYにどう対処していけばいいのかの戦略が欠けている気がしてならない。

日経新聞のオンラインの記事(「普天間基地移転問題が“棚上げ”にされた真相」)に書かれていたが、ワシントンでは今回の「2プラス2」合意もKABUKIと呼ばれているらしい。

1996年にSACO最終報告が出され、1997年に名護市民投票が行われ反対多数であったにも関わらず、1999年に沖縄県知事・名護市長の合意を得て軍民共用空港で新基地建設手続きが進められていたときにも、一連の日米合意は米国関係者にKABUKI PLAYと呼ばれていると報道されていた。曰く日米双方とも実現できるわけがないと知りながら、実現できるかのように振舞いつづけていることの自嘲/揶揄的表現である。

このようなKABUKIも、沖縄の民衆の抵抗がなければ実現できていたかもしれない。かもしれないが、実現できなかったという現実があるのは民衆の抵抗と様々なレベルでの協働があったからである。

名護市辺野古への普天間基地移設問題は、環境問題や地域の自治や人権、平和、沖縄の歴史など様々な問題意識が連動・相互挑発・影響しあい、長い時間をかけて沖縄のコモンセンスとして「反対」という意思をつかみだした。

おそらく稲嶺進名護市長も、そのような沖縄の意思を伝えたいと今回の行動に出たのだろう。

しかし政府からみれば、名護市長は政府決定に反対して説明も聞かない地方公共団体の首長でしかない。そのような沖縄の意思を伝える政治パフォーマンスの場を、易々と与えるわけにはいかない。日米合意した普天間移設先の首長であり、単なる地方公共団体の首長ではないという意見もあるだろうが、移設先であることを拒否している首長であり特別扱いするいわれはない。

すっかり「反対派」の首長になってる稲嶺進名護市長だが、稲嶺氏は市長選挙の最中に市民投票結果の意思に反し基地受け入れをしてきた「故岸本建男名護市長は(基地を)造るつもりはなかった」と擁護する発言をしている。

防衛次官だった守屋氏が著書で、不誠実極まりない利権絡みの沖縄側対応に振り回されたと書いていることを、まるで裏打ちするかのような「故岸本建男名護市長は(基地を)造るつもりはなかった」という評価を改めなければ、稲嶺進名護市長がどんなに声を荒げて「反対」を叫んでも、私には心から信頼する気にはなれない。おそらく一連の経過に関わりつづけている防衛省や政府の事務方も、市長選前後の稲嶺氏の発言等は収集分析しており、政治家・官僚は対応への判断材料にしているかもしれない。

故岸本建男名護市長の条件付受入れではないが、最近の国頭村安波での誘致の動きなど、沖縄には米軍基地を受け入れることで経済的利得を追求しようという人々がいるのは事実。そこに棹差して進めてきた自公政権に対してノーを突きつけたのは直近の衆院選である。政権を取った後の民主党の豹変ぶりはおぞましいものだが、沖縄選出の民主党議員も県連も有効な手立てはとれないでいる。下地幹夫衆院議員だけが、相変わらず自身への利権絡みもあるのかもしれないが人々の経済への渇望・欲望に棹差して沖縄を隷属させようと活動的である。

しかし、今回の「2プラス2」合意が易々と実現できるなどと誰も思ってない。いますべきは、安易な政治パフォーマンスではなく、1995年以降の沖縄の現実を踏まえ、真摯に反省すべきところは反省し、とるべき行動をしっかりととることである。

高江など現実の脅威にさらされながら踏ん張る現場は、さまざまなネットワークと知恵を駆使しながら踏ん張っている。この十数年の経験から、地域行政が自治体がなにも学ばない考えないというのは許されることではない。

沖縄の自治体が、結果的に日米両政府のKABUKI PLAYに振り回され、停滞を補完(かつての稲嶺恵一沖縄県知事と岸本建男名護市長は協力していた)するような愚行をしないことを願いたい。