みやぎブログ

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沖縄の全基地閉鎖へ!—Al la fermo de la usonaj militaj bazoj en Okinawa

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写真:宮里洋子

オスプレイ強行配備への沖縄の抵抗は創造され継続されている。
9.30普天間基地の全ゲートが民衆により封鎖された。日本政府は国家権力が独占する暴力装置を使い、民衆を排除しゲート封鎖を抉じ開けた。
ゲート封鎖を破られた民衆は、国家の剥き出しの暴力に怯み意気消沈し敗北と屈辱を噛み締め、自尊心を傷つけ失い何もかも諦めオスプレイを米軍を海兵隊を受け入れたか。答えは否である。

沖縄の民衆は、1945年沖縄戦時に米軍により収容所に閉じ込められている間に土地を強奪され造られた普天間基地を、67年間も経て「返せ!」と自らの非暴力不服従の力でゲート封鎖を成したことで目覚め勇気を得た。

1972年に沖縄の施政権が米軍から日本国へ移管される時、沖縄の民衆は「基地のない島」を願った。人権も自治もない米軍支配下から、「基地のない島」への願いを日本国憲法の下への復帰に込め「幻の建議書」に託した思いは一顧だにされず、沖縄の願いは踏みにじられた。あれから40年経たが、沖縄の願いは潰えていない。

書きかけで置いてる間に、今朝の琉球新報に掲載されている比屋根照夫さんの「語り」を読んだ…とても重要な示唆を含んだ指摘だと私は思います、ぜひリンク先を読んでください…。比屋根さんは、あのゲート前での人々の行為に復帰を経験した人たちの“「復帰責任」を果たそうとする意思の「萌芽」”をみたという。

私のような若輩が、先輩たちの決意や行動を忖度する気はないが、今回の一連の事態における高齢の先輩たちの行動力は特筆に価する。そのような先輩たちと、ツイッター等での呼びかけ合いに呼応して参加した決して多くはないが自主的自発的な若者たち、時流の中で組織力も落ちてるであろう組合の活動家や組合員たちのがんばり、多数多様な人々がゲート前の「解放区」をつくりだし、そこを維持し先に進めようと踏ん張った。国家による暴力が振るわれ「解放区」は弾圧され排除されたが、それらを大勢のウチナーンチュがみて心震わせ奮わせた。その場にいなかった人々も含めて、我々は共にあることができる世界をつくりだすための大きな一歩を踏み出した。

オスプレイ強行配備がされた後も、市民のアクションは続いている。ゲート前での抗議集会や座り込み。抗議の意思をアピールするゲート前歩道の牛歩横断。普天間基地周辺での「凧揚げ大会」(Project Disagree:「留保なき」続報参照)など、様々な団体や個人やグループが多様なアクションを繰り広げている。

  琉球新報2012.10.09:「オスプレイ反対途切れず 祝日朝から集会200人が「×」」

平和市民連絡会」と「沖縄平和運動センター」が中心となり支えるアクションに参加するだけでなく、多様な動きが生まれつつある。個人参加も増えてきている、若者たちが中心となってコンサートや「祭り」で表現しようという動きもあるようだ。

日本政府による米軍の都合()を優先した9月30日の民衆への弾圧は、民衆を諦めへと導くどころか、非暴力不服従を徹底し国家の暴力を乗り越えようという民衆の目覚めへと導いた。

  地元紙で知る沖縄2012.10.08:連載「押し切られた民意」≪完≫
上記リンク先で10/6の沖縄タイムス記事を読むことができる。その中で「予算確保を目的とした「軍の論理」に押し切られたオスプレイの強行配備」とある。どこかで時系列で整理しようかとも思うが、一連のオスプレイに関する動向は、予算削減を懸念し生き残りをかける海兵隊の危機感がある。日本の「領土問題」での噴き上がりと、それを懸念する米国務省の動向とは別に、その状況を利益につなげようとする日米の勢力がいるのは間違いない。

先のことを見通すのは容易くない。しかし、これらの動向は、単にオスプレイ配備に反対するということを超えて、「沖縄の全基地閉鎖へ」と至るだろうことは想像できる。非暴力不服従の闘いで普天間基地のゲート封鎖を成し遂げた県民は、1972年の「復帰」と現在を鋭く問うている(その問いは日本本土に向けてだけではない、自らに鋭く向いている)。米軍の施政権下から解き放たれても、日米安保の頸城で米軍基地は居座り続ける。我々はこの十数年の間に、普天間代替と呼ばれる辺野古への新基地建設という「県内移設」が日本国の政治的事情であることを知っている()。ウチナーンチュは保革のイデオロギーを超えて、これ以上「差別」を忍従するわけにはいかないギリギリのところにいる。政府は、普天間基地へのオスプレイ配備で危険性を煽り、辺野古移設へと道をつなげるつもりだろうが、そんなシナリオは通用しない。

  (琉球新報2009.11.15:普天間移設非公式協議 98年3月当時、米「県外可能」を伝達

普天間基地の「ゲート封鎖」及びその封鎖を守り「解放区」を維持しようと努力した人々は県民総体から考えると多くはない。そのことをして少数の左翼勢力の動きであるとか、起こった事態を小さくみせようと評価する動きはあるだろうし、これからも続くだろう。日本のマスメディアでもその傾向は続くだろうが、ニューヨークタイムスが報道するなど世界は沖縄の動きを報じている。「歓迎されないところに基地はおかない」とする米国政府がいつまでも知らないふりをしていられないよう、沖縄は動き続ける。

「沖縄の全基地閉鎖へ」向けて、沖縄は早急に体勢を整え全力で臨むだろう。

最後に、非暴力不服従直接行動によるゲート封鎖を排除弾圧する国家暴力と対峙しジタバタした体験を踏まえて、あの場にはいれなかった仲間に向けて、若者たちがツイッタ—で交わしている対話・思考にも触発されながら、いま考えていることを書いてこの稿を終える。

無関心は構造的暴力を構成する暴力である。非暴力不服従で抵抗する民衆を襲った、国家の剥き出しの暴力を支える暴力である。

民衆の非暴力不服従の積極的抵抗は、弾圧する国家権力の暴力と衝突しハレーションを起こしその無関心をも照射する。

いたたまれなくなった無関心は、非暴力不服従の民衆への嫌悪という形で応答するかもしれない。

だが、わかってほしい。民衆が暴力に直面し抵抗の中であげた叫びや糾弾の声は、あなたに向けられているのではない。あなたに向かって振り下ろされる暴力を止めるためにあげている叫びであり糾弾の声なのだ。民衆が暴力に直面し抵抗の中で体当たりし足掻く力は、あなたに向けられているのではない。あなたを拘束するみえない鎖を解き放ちあなたと共にありたいと希求する願いなのだ。

無関心という仮面を脱ぎおくだけでいい。それ以上、私はなにも望まないし要求したくない。

沖縄の全基地閉鎖へ!準備と行動と諸々を一斉に行おう。私も何ができるか、やれることを精一杯考え行動したい。