みやぎブログ

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週刊金曜日死す。名護市長選についてトンデモ陰謀論ルポ。

一昨日の「県民大会」に参加したみなさんはご苦労様でした。全国で連帯する行動をなされた方々もお疲れ様です。なんど集えばと思いもするが、なんどでも立ち上がらなければと思います。

ところで、名護市の大西さんのブログ「宝の海」で知ったのだが、最新(だと思う)の『週刊金曜日』はとんでもないルポを掲載してくれている。うわさには見聞きしていたが、『週刊金曜日』という雑誌がここまで腐っているとは思わなかった。

いわく、『比嘉靖氏の選対本部長が比嘉鉄也元市長』である。名護市民なら、少しでも名護市に押し付けられた新基地建設問題に注意を払ってきたものなら、誰でも我が目を疑うトンデモな内容である。

[E:eyeglass]

週刊金曜日』の2009年11月6日774号は《ルポの時代》という特集である。編集委員の佐高信は特集にあたって「タブーを打破するルポを」と題する文章を書いている。

ルポとは端的に言えば「べき」の登場しない文章である。「何々であるべき」と「べき」の多用されるそれは、押しつけの自己満足に過ぎず、著しく説得力に欠ける。
足を使って取材し、事実を発掘して事実に語らせるルポは、思想的に反対の者をも揺り動かさずにはいない。「べき」は、「私はそうは思わない。考え方が違う」と言われたら、それで終わりだが、事実に対しては、そうは言えないのである。
ルポによってタブーに挑戦する。これが本誌のめざす方向だろう。

これだけ読めば、骨のあるジャーナリズムのルポルタージュ宣言である。そんな特集号の中で、ジャーナリストを名乗る天城慶なる人物は「沖縄普天間飛行場移設問題/垣間見える閣内不一致」と題する一文を書いている。(全文は週刊金曜日のウェブサイトのここで読めます)

新基地建設問題に関する一連の経緯をなぞりながら、鳩山政権の迷走ぶりを首相の優柔不断さを指摘する記事だが、沖縄に関する部分はずいぶん眉唾な情報が多い。「社民党山内徳信参院議員が主張した硫黄島移転説」など、沖縄選出の自公共産を除く連立与党・無所属の国会議員の集まり「うるの会」が主張した案(琉球新報10.30)を、山内氏が主張していることになっている。おそらく、筆者は取材などまともにしないで記事を書いたのだろう。

極めつけは、名護市長選に関する部分だ。

普天間移設反対で出馬することになった比嘉靖氏の選対本部長が比嘉鉄也元市長というのも怪しい。なにせ、比嘉鉄也氏は島袋市長の後援会最高顧問をしていた名護市の実力者。三つ巴により稲嶺氏の革新票を奪って島袋氏を有利にする狙いなのでしょう」

比嘉鉄也氏は1997年の新基地建設に係る賛否を決した市民投票時の名護市長である。市民投票の結果を踏みにじり、今日に続く名護市の混迷をつくりだした張本人である。そのような人物を、比嘉靖氏が選対本部長に据えることは考えられないし、事実違う。比嘉靖氏のバックにそのような勢力があるかのような陰謀論は、酒座での与太話ならともかく、まともにとりあえる性質の話ではない。「ルポによってタブーに挑戦する」(佐高信)という『週刊金曜日』の目指す方向は、トンデモ陰謀論への接近でしかないようだ。

名護市関係者の発言として括弧で括り(逃げ)ながら、こんなトンデモを平気で披瀝する浅ましさは、ジャーナリズムとは程遠い。佐高信の言とは真逆に、この記事は「足を使って取材もせずに、妄想を事実の如く第三者に語らせる(捏造を施した)ルポもどき」でしかない。

週刊金曜日』は、社をあげて豆腐の角に頭ぶっつけて泣いてくださいとしか私にはいえない。人の商売にケチをつける気はないので会社をたためとまでは言わないが、悪いがあなたたちの戯れの言論は害悪だ。1945年以来米軍占領が続き、復帰してなお基地を押し付けられ続ける軍事植民地・沖縄の苦悩を、面白がっている腐臭すら感じる。

[E:foot]

このような記事がなぜ出てくるのか。『週刊金曜日』の劣化だけですむ話ではない。私の目下の最大の関心事である名護市の市長選挙の動向が、新基地建設をめぐる大雑把な「政局」でしかみられておらず、市民による「政策」の選択の問題であることが見落とされているような気がしてならない。それがマジョリティの無責任な関心だけでなく、閉塞状況におかれた名護市民も焦燥感にかられ「政局」的思考に陥っているように思う。

新基地建設をめぐる「三つ巴」の混迷を脱する出口も、大雑把な「政局」的見方を少し離れて、「政策」の観点からみていけば、ボタンの掛け違いや、基地建設に反対する市民勢力の大同団結の道が切り拓けてくる。

ことは来年1月の選挙である。もうタイムリミットは過ぎているのかも知れないが、名護市を離れている身だからこそ、客観的にみえていることもあるかもしれない。大急ぎで、いま、私の脳内にあるモヤモヤを外部に吐き出さなければならない。次回以降、しばらくは、そのことに集中したい。

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