みやぎブログ

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名護市の「自治」回復への道。--The Lord of the Autonomy

091111今朝の琉球新報朝刊三面に、左画像の記事が出ていた。
名護市長選における二人の新人予定候補の関係者間では、新基地建設問題という大きなイシューを前にして、大同団結への努力が続けられている。心より敬意を表する。

記事から予定候補両者の言い分を抜き出しておく。

比嘉靖氏
「基地建設問題で政策が一致すれば、合流は十分可能だ」
「市政刷新という立場では一致している」
「1.米軍普天間飛行場の即時閉鎖 2.名護市辺野古に基地を造らせない 3.県内でたらい回しをしない-の3点を稲嶺氏が掲げることを条件」

稲嶺進
辺野古の基地建設反対と県外移設を以前から訴えており、2点は一致できる」
「(普天間即時閉鎖)県民の一人として心情は同じだ。市長選の争点として政策に掲げることは難しいが、話し合えば分かり合える」

[E:impact]

これで、話し合いのテーブルがつくられる。なによりの前進である。

せっかくの話し合いに水を注す気はないが、稲嶺氏が「辺野古の基地建設反対」を「以前から訴えており」というのは、私には合点がいかない。

名護市長選挙についてのメモ(4)”で書いたが、稲嶺氏は「県外移設を求めていく」とは政策で訴えているが、「辺野古の基地建設反対」はひとことも発しておらず、「辺野古合意案を見直し」としか言っていない。

辺野古合意案見直し」が、即「辺野古の基地建設反対」にならないことは論を待たない。

昨今では、選挙期間中に話したこと(県外移設)は公約ではないということがまかり通っている。残念ながら、稲嶺氏が集会やどんな場で「辺野古に基地は造らせません」とお話していても、政策として公約したことにはならない。

おそらく、比嘉靖氏が「政策が一致すれば」というのは、その部分を指している。

98年の市長選挙では、岸本建男氏は「凍結」と発言したが、99年には解凍され「条件付受入れ」された。
06年の市長選挙では、島袋吉和氏は「政府案反対」で当選し、数ヵ月後に政府案通りの場所で滑走路を二本に増やした「V字案」で合意した。

あいまいな政策=公約は、いたずらに火種を残し、政府行政および意思決定の全権を握る首長はそのほうがいいかも知れないが、信を問われ託す主権者としてはそうはいかない。火種で火達磨になるのは「自治」そのものであり、役所も住民も全員である。そのようなあいまいさの連鎖は断ち切ったほうがいい。

[E:eyeglass]

ことは重大な政治的争点であり、1997年時の名護市有権者が自公政府の札束台風に抗い市民投票でつかみだした「基地建設反対」の地平である。あいまいな言葉で切り抜けてほしくはないし、できるものでもない。

思えば、1997年の市民投票の結果を比嘉鉄也市長が裏切り、「自治」の根幹が揺らぎ名護市は12年も翻弄され続けてきた。岸本市政では、政府に条件(それが叶わない場合には受入れ撤回を市民に約束したほどの条件)を突きつけ、まだ「自治」を手放さない気概があったが、現在の島袋市長にはそれすら皆無だ。(V字案合意後、市議会で私が岸本前市長同様の「条件」はあるのか執拗に問うたが、顔を真っ赤にして職員が書いた答弁書を読み上げるだけだった)

その地点、「自治」を回復できるのか、重要な決断が、稲嶺進氏と比嘉靖氏の話し合いにかかっているといっても過言ではない。

正直に言おう、私は稲嶺進氏の政策や、この間の言質だけでは信頼できない。私は稲嶺氏も比嘉氏も、必要程度にはよく知っている。二人とも、信頼できる人物である。しかし、ことは主権者のたいせつな一票を受けて、国策という圧力のなかで「自治」を守り抜く市民の代表を選ぶことである。稲嶺氏には悪いが、故岸本建男市長の下で重要な役割を担い、その能力と存在がこれまで基地建設推進に寄与したことは否めない。選挙で選ばれた首長に従うのは市役所職員、任命され受け入れた三役として当然のこととはいえ、ひとりの人間として、その仕事の遍歴をどのように考えているのか、もっと率直な意見が述べられて当然のことと私は思っている。もとより、稲嶺氏の歩んできた総務・教育行政は、基地建設そのものと深く関わるものではない。しかし、1997年以降の名護市の混迷がなんでもなかったことにはならないし、ましてや島袋吉和現名護市長の選挙の洗礼も受けていない歴史に残るバカげたV字合意を批難すればそれですべてこと足れるわけではない。

勘違いしないでいただきたいが、私は政治的な立場や考え方は違っていても、故岸本建男前市長を人間として深く信頼していたし、彼が名護市でやった業績をすべて批難断罪しようなどとは毛頭思っていない。稲嶺氏にそのような踏み絵を踏むことを求めているわけでもない。

名護市の現在の混迷は、1997年の主権者である市民の意思決定を、行政が裏切り続けてきたことにある。「まちづくり」の原点に立ち返り、市民が主役を名実ともに実現していくには、その原点に立ち返りもつれた糸をほぐすことである。

稲嶺進氏と比嘉靖氏の、懸命な判断を心より願っている。

鳩山首相は一時期とはいえ、名護市長選挙の結果をみて、「普天間移設」について判断すると発言した。国策に関わる重要な問題を、一自治体の判断(一自治体に居住する主権者の判断)に丸投げする責任放棄だ。

逆にみれば、名護市長選挙は日米両政府のありかたを根幹から変更させる、重要な選挙にもなりうる。

それを「政局」的に大仰に煽る気はさらさらない。それよりも「政策」として、ほんとうに「まちづくり」に市民の声を生かしていこう、市民が生きていることこそ大切なのだという、ささやかな名護市民の「自治」の願いこそ大切だと私は思っている。「自治」を回復する道を、力強く歩き出していく。1997年の市民投票を実現した名護市民なら、その道を切り拓けるはずだ。

故岸本建男前市長が、名護市職員になる前から策定に深く関わった1973年の名護市総合計画基本構想に、次のような言葉がある。

「基地が存在することによる現実的諸条件(問題)は、決して将来の計画条件とはなり得ない。反対に、その条件をはっきりと否定し、未来に向かって新しい条件を設定すること(価値の展開といってもよい)が、まず第一に求められる手続きであろう」

「着実に“失われた歴史と場所”を回復しようとする沖縄の“本土復帰”こそが、改めて、沖縄自身の言葉と行動によって、本土に対し、差別と分断の歴史を問い返すことになるであろう。」

私は、名護市で生まれ育ったことを、いまでも誇りに思ってる。稲嶺進氏と比嘉靖氏は、とてもすてきな名護市のガージューでウーマクーな先輩だ。二人とも、この局面で、出るべくして出てきた人物だと思う。がんばってほしい。

「一本化」とは、靖が降りる、進が降ろすなどという話ではない。市民みんなで、「自治」を回復する道を歩む、そのステージへあがるという話だ。

[E:end]

【追記】同じく本日の琉球新報朝刊「文化面」に、ガヴァン・マコーマックさんの「オバマ対鳩山 2009沖縄をめぐる闘い」という長文の論考が掲載されている。切り抜き画像で紹介するには、ちょっと長すぎるので、近いうちにテキストにしてここで紹介します。

【追追記】同じく本日の琉球新報朝刊には、「県民大会」を伝える全面英字新聞。なんかすごい。ウェブ版にも夕方登場した。新報さんGJ。→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-152667-storytopic-53.html (これだけでなく記事複数、リンク先で飛んでください) …夕方、担当者に電話して「PDF版アップの予定はありませんか、ぜひ検討してください」と伝えた。^^