宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

オキナワの位置

この数ヶ月、露呈してきた様々な問題は、人をしてうんざりさせ、病的なまでの精神状況に追いやるにたる現実である。そこから抜け出すために、抜け出したいと、考えをめぐらし続けている。
島田懇談会事業批判(「炭鉱のカナリアの歌声」)の続編のような原稿を書こうと思い至り、格闘している。

9月には市議会議員選挙もある。私はこれまで、無所属の市民代表のひとりとして、是々非々で市行政をチェックする議員のひとりとして、活動を続け、様々な意見に耳を傾け、どうにか基地建設を断念させる多数派を作ろうと試みてきた。ある一定のレベルの仕事、状況を作ることはできた自負もある。しかし、保革の壁や、小異をあげつらう古い体質は、厳然として、この悪しき状況を補完する動きとして健在である。
覚悟を決めて「政治家」になろうと思う。

昨日、市民活動として行っているジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)の通信のために、巻頭言を下記のように書いた。

オキナワは雨が続いている。
明日(月曜日)12市町村の首長たちは防衛庁に北部振興の要請に出かける。

 二〇〇六年五月三十日、名護市への基地建設について二度目の「閣議決定」が
なされた。一九九九年の閣議決定普天間飛行場の移設に係る政府方針」は、こ
れによって正式に廃止された。政府方針にあった「地域振興について」に基づく
事業も廃止され、来年度以降の北部振興事業は宙に浮いている。政府と基本合意
をした名護市長ですら、これらの点について納得できないと憤っている。五月十
五日の琉球新報沖縄タイムスの報道では、政府は事業の各段階(アセス・着
工・完了)に応じて増額する「再編交付金制度」を創設する考えのようだ。
「(第二次世界)大戦において沖縄県民が受けられた大きな犠牲と、沖縄県勢の
実情、そして今日まで沖縄県民が耐えてこられた苦しみと負担の大きさ」(沖縄
問題についての内閣総理大臣談話・一九九六年閣議決定)を根拠に講じられてき
た沖縄振興が、完全に米軍基地の維持と新設に関るものになる。

 Ⅴ字案なるグロテスクな怪物で名護市長たちが政府と合意した四月七日に、額
防衛庁長官との共同記者会見に参加した東村長は「建前と本音を使い分けるよ
うな時代は過ぎた」と豪語している。基地の存在(維持)に起因する財政出動
依存してきた沖縄が、奈落を駆け下りていく絶叫のようである。ブレーキは完全
に壊れている。

 日本国政府の位置づけるオキナワの位置が、様々な場面や発言の中で露呈して
きて、やがて剥き出しの「本音」として閣議決定に定着した。これがわが国政府
の意思である。しかし今回の閣議決定は、オキナワを米軍に捧げる決定だけでな
く、ブッシュのアメリカと地球上のどこでも共に戦争する日本国へ「再編」する
意思でもある。いまこそ全力を尽くして、対米追随で地獄の底までイエスマン
歩もうとする、このような政府を変えなければならない。

 私は、SDCCの活動が、ひとえに沖縄のためなどではなく、私たちが生きら
れる(他者を受容し共生できる)世界を創り出すための活動であると考えてき
た。その重要性は、今回の閣議決定を経て、ますます大きくこそなれ、小さくな
ることはない。