みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

総選挙の沖縄選挙結果について雑感

2012.12.16.衆院選があった。沖縄の選挙区の結果は、自民が三つの選挙区を取り戻し、社民が一つの選挙区を死守した。
名護市辺野古への新基地建設に反対し続け、政府の壁の厚さにうんざりし、政権交代に期待し裏切られ、どたばたして今日に至るだが、これから先がおもいやられる。
自公の議席は凄まじい増大ぶりで、衆院の各委員会の委員長を出しても過半数で、なおかつ参院で否決されて戻ってきても再可決できる数らしいから、やりたい放題という絶対安定多数である。
沖縄の選挙区で当選した候補者や自民党公明党の県連は、オスプレイ配備に反対し、普天間基地の「県外国外」移設を求めており、中央の政策とのねじれは大きい。選挙に勝利し与党として国政入りする当選者たちは、修羅を行くようなものだ。沖縄の有権者との約束を違わず、主張を貫いて実現すべくがんばってほしい。
来年7月の参院選、再来年1月の名護市長選挙、そして県知事選挙と続く。新基地建設問題についての最大の政治決戦は名護市長選挙になるのだろう。与党保守系の候補者で勝利し、その候補者に選挙中か選挙後かは知らないが普天間移設受け入れを表明させれば、自公の沖縄県連および仲井真県知事は「県外国外」を降ろせる。政治は単純ではないので、県政は名護市の反対だけを根拠にするのをやめてウィングを周辺市町村の反対も根拠にするなど広げているが、そうはいっても名護市が受け入れてしまえば話は急ピッチに進む。反対運動がどのように激烈になろうとも、行政的に根拠を得てしまったら進むものは進むべく動き出す。
確実にやってくる諸々の事態に備えて、衆院選挙の結果のメモをここに書き記しておく。

Syuin1_2一区は、自民党国場幸之助さんが何度目かのチャレンジで当選した。
解散時の現職大臣であった下地幹郎さんの落選は、民主党政権への沖縄県民の憤りが影響したこともあるだろうが、そうであるのに立派な得票である。おそらく有権者は、下地さんがオスプレイ配備や新基地建設問題について、大臣としての立場云々で封印としていたことを「ブレ」と判断したのだろう。彼の持ち味の単刀直入に政策を語る姿勢を、大臣という立場を得ることで彼自身が封印したことは、様々な問題を孕んでいる。沖縄が日本政府とどこまで付き合えるのか、付き合えないのか、限界ともいえる地点がみえかくれするが、しかしそれを限界としてはいられない。ここは思考を要する。

Syuin2
二区は、社民党照屋寛徳さんの再選である。
自民党候補者の陣営は、選挙戦終盤で劣勢の焦りからだろう照屋陣営のポスターを破壊するなど選挙違反著しい妨害行為も行なっていたようだ。
私個人は、別に候補者がウチナンチュではないことをあまり意識しないが、しかし右翼的体質を持ち尚且つ本土の人間が「歴史を変える」などと選挙時に公言しているのをみるのは、正直気持ちのいいことではなかった。これから、このような事態はもっと出てくるのかもしれない。落選した自民党候補者は比例で復活当選した。

Syuin3 三区は、自民党の新人・比嘉奈津実さんの初当選である。
一区でもそうだが、自公の選挙協力体制がしっかりとられていることを結果から痛感する。
民主党への政権交代の風に乗って当選した玉城デニーさんは「未来」に鞍替えしての立候補だった。私はデニーさんについては、泡瀬干潟埋立問題等への対応や、かつて民主党県連内のゴタゴタをツイッター等でダダ漏れさせていた事件などから、支持するにたる信頼感を持てずにいる。しかし山内末子県議らが、右傾化していく政治の世界をどうにか食い止めたいという一心から様々な事情を乗り越え彼の当選のために奔走している姿を応援していた。比例で復活当選したらしいので、これからの玉城デニーさんの政治活動を注目していたい。

Syuin4 四区は自民党西銘恒三郎さんが返り咲きで当選。
瑞慶覧長敏さんは玉城デニーさんと同時期に民主党を離党したが、無所属なのかみどりの党(だっけかな?)に所属するのか等で手間取ったという事情もあるらしく、ただでさえ厳しい情勢が予想できる選挙で出遅れが響き届かなかった。
私の住まいは四区なので西銘陣営のビラなどもポスティングされていたが、「初心忘れず/お手振り500日」しか書かれていないビラには呆れた。しかしその中にある地域や人とのつながりを大事にする姿勢が評価されるところなんだろう。自民党憲法改正しようとしているとか、徴兵制をも射程に入れているなどというのとはまるで違う次元で選挙区の投票行動が促されている。他の選挙区も似たようなものであろう。自民党県連が基地問題を大きな争点から外したことは、彼らの生き残りには功奏しているだろうが、政党政治/政治そのものを深く腐食している。やがて自民党県連が「県外国外」をなしくずしにする事態が招来されるだろう。それは沖縄における政治の死のときである。

前回の衆院選では、政権交代の期待の風が大きく吹きまくった。その風で自民党が駆逐され、民主党の新人候補二人もが当選した。民主党の公約破りで、基地問題解決に寄せた沖縄の期待は大きく裏切られたが、そのときの身の処し方があまりにも甘く、民主党(解散前に離党したとはいえ)の二人は落選(デニーさんは比例で復活)した。それだけではなく、そのようなゴタゴタが有権者民主党の素人臭い政治姿勢への嫌気を誘発し安定を求めて自民党への投票へ向かわせた感は否めない。
しかし、だとしても、その有権者の受け皿となりうる政党がしっかりあればいいのであって、沖縄にそれがない、つくられていないのが大問題なのではないかとおもえる。
基地問題において社民・社大・共産の働きは重要だが、支持政党なき層の大いなる受け皿にはなり得ていない。その枠組みを形を、考えなければ、那覇市長選挙で候補者を擁立できないような革新共闘の枠組みに固執していてはダメだろう。
私は沖縄党をつくって、沖縄独自の理念と政策をもって日本政府およびヤマトの各政党と対峙するぐらいの気概が必要だとおもう。状況はそれほどまでに来ているのではないか。

Syuinnago 最後に三区における名護市の票の具合だけデータとして置いておく。
選挙区は政党ではなく候補者に投票するので、一概には断定できないが傾向を考える参考にしてもいいだろう。
(県内移設推進の)維新と幸福の票を除いて、民主・共産・未来を足しても、自民党の候補者には勝ててない。
かなり厳しい情勢が伺われる。