足元の位置
【足元を掘れば、必ず泉は湧く。】
足元を掘りながら、足元の位置を捕捉しなければならない。
日本国政府は明らかに、沖縄を日米安保の名の下に米軍に捧げた基地の島として位置づけている。米軍基地をめぐる様々な問題をみていると、法の下の平等も沖縄にはない。その現状認識の上で、沖縄における政治的行動や意思や政策は問われなければならない。足元を掘る作業も然りである。ささやかな日々の暮らしも、また。
二連休なので、少し時間を割いて頭の中のモヤモヤを吐き出しておく。
1997年、国会では駐留軍用地特措法が圧倒的多数で改悪された。国家による個人の財産権侵害に関わる問題であると同時に、ほぼ沖縄にのみ関わる問題である。日本国憲法では「財産権は、これを侵してはならない」とされている。さらに日本国憲法では「一地方公共団体のみに適用される特別法」はその地方公共団体の住民投票において過半の同意を得なければ国会は制定できないとなっている。沖縄の米軍基地を維持するために、政府・国会はこのような事柄を成し、国民大多数及びマスコミの多くは不問に付す。そして、1999年に駐留軍用地特措法は再改悪され、地方公共団体の首長の事務は無くなりすべて国の事務として執り行われることになった。
2000年に私は、当時の名護市長に、彼が基地建設の受け入れ表明で使っていた一節を使いたずねた。
「沖縄における基地問題の長い歴史と諸般の情勢にかんがみ」、市長の市民投票に叛意するということは妥当なのかどうか
市長はこう答えている。
いま宮城康博議員が述べられた沖縄の基地の歴史と現状、そういう中で私はそういう判断をせざるをえなかったということでございます。
1999年に県知事と名護市長が新基地建設を受け入れてからの10年間は、失われた10年ではない。その判断によって得られたことと、その判断によって失いそうになっていた(失った)ものを認識することなければ、この先の道は無い。
ここいらへんの事柄については、様々な事例や、考えなければならない問題がある。落ち着けるときにゆっくり整理整頓できればと思うが、…そのうちまた忘れてしまいそう。;;
[E:sign01]
選挙だけが政治ではないのは自明だが、権力を握るのは選挙によって勝利したものである。11月の沖縄県知事選挙の結果がどうなるかは、沖縄がこれから、このような日本国政府および日本という国家そのものと、どう向き合っていくのかの大きなメルクマールになる。
なぜ新基地建設は認められないのか。名護市が反対しているからという理由だけなら、逆に言えば名護市が賛成したら認められるのか。仲井真県知事に象徴される沖縄の保守層の発言は、民主主義的を装い問題の本質を隠し、現状を憂えているフージーで現状維持をもくろむ。
「民主主義」も「法治主義」も、沖縄ではカッコに括られなければならない。「安全保障」「抑止力」「平和」も、日本国のマジョリティと沖縄の現実を生きるものと同一の意味を成すとはおもえない。「貧困」も「共生」も然りである。構造的に沖縄がおかれている位置をしっかりと把握し、その現状を変革するための革命的な何かが待望される。それは待望されるだけではなく、胎動しているかもしれない。
[E:sun]