防衛相の陳謝
旅先から、気になったニュースだけ、少しメモしておく。
(琉球新報=5.31)
防衛相、環境調査の海事投入を陳謝
(TBS=5.30)
離任する四軍調整官によると、普天間代替の「マスタープランはまだない」ということだが、政府防衛省は環境アセスの「方法書」は(沖縄側との位置の合意をのぞき)できているかのような発言をしている。
防衛省は、マスタープランのない事業の「方法書」を提示する確信犯か。
キューマ大臣はナカイマ知事に対し、「迷惑をかけた」と陳謝たらしい。
このような発言をどのように聞くべきか。「知事が私の立場なら同じ事をしただろう」
民主主義にかかわる重要な問題をはらんでいる。
国家行政の大臣と地方行政の首長。それぞれの立場の違い。
キューマ大臣はアベシンゾーが任命したが、ナカイマ知事は沖縄県民が投票で選んだ。
知事は大臣と同じ立場に立つことはありえないし、想定してもなんの意味もないどころか、想定することが不見識極まりない。
それでも、ナカイマは、理解しちゃうんだろうなぁ…
さらにキューマ大臣は発言を続ける
「結果を見てもらいたい。アメリカとの関係も色々言われているが、心配しなくて大丈夫だ」
上記の発言だけ読むと、意味がよくわからない。記事の地の文章を読んでもよくわからない。
いかなる何についての「結果」なのか、「アメリカとの関係」もキューマ氏本人の舌禍にかかわる関係のことかもしれないし、よくわからない発言である。
キューマ大臣は軽々と「陳謝」し、政府防衛省および大手マスコミは、自衛隊派遣をたいしたことでもないように扱って自然消滅させようとしている。ぜったい忘れてやるものか。
威圧され、威嚇され、ここで引き下がるわけにはいかない。私は別に意地になって虚勢を張っているわけではない。
このままでは、やがて来るのは、銃を抱えた実行部隊である。銃口は私たちを私たちの愛するものに向けられている。そのときには、逃げのびろ、生きろ!と私は子どもたちに教えなければならない。いまはまだ、そのときではない、ここで引き下がるわけにはいかない。そのような事態を決して起こさないためにも、私たちは目を見開き、なにがおきているのかを直視し見抜かなければならない。生きるために。
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通夜は土曜日、お葬式は日曜日。私は月曜日の早朝、ためている仕事を進行しなければならず沖縄に戻る。
兄貴は、1951年10月生。4男1女の5人兄弟の3男(ちなみに私は一番下の4男)。肺ガンをわずらい2年以上闘病の末、肺のガンは消えたが脳に転移した結果であった。兄貴と兄貴の家族はよくがんばった。家族は、奥さんと子供一人。日立製作所の関連会社にエンジニアとして就職し勤務していた。