再び菅官房長官発言について
翁長県知事と安倍首相が会談した。
翁長知事が「1999年の沖縄側の同意を得た閣議決定は2006年の閣議決定で廃止されており、沖縄の移設容認は生きていない」とする主張に対して、菅官房長官がなにやら反論しているようだ。
菅官房長官曰く
「まったくおかしくない。(平成)11年(1999年)の閣議決定をもとに18年(2006年)のさらなる閣議決定をしたということ。これは地元の意向を聞きながら進めてきて、計画を変更した。当初と(工法が)違ってきた」
ということのようだが、事実はどうか。
2006年5月30日、閣議決定がなされた直後に、当時の稲嶺恵一沖縄県知事はコメントを発表している。少し長くなるが全文転載する。*1
稲嶺知事コメント
沖縄県としては、県や地元関係市町村と十分な協議が行われたとは言えない中で、このような閣議決定がなされたことは、極めて遺憾である。
県は去る五月四日に米軍再編の日米合意について政府から正式に報告があった際に、普天間飛行場の移設に係る内容については(1)「新たな日米合意案は容認できない」、しかし(2)「危険性を除去するための緊急的措置として、キャンプ・シュワブ基地内に暫定へリポート建設を検討すること」を対応の一つとして政府に求めるという沖縄県の考え方を伝えた。
私は去る五月十一日に、政府と沖縄県の立場に相違があることにかんがみ、米軍再編最終報告を起点に、今後とも継続的に協議を進めていくため、額賀防衛庁長官と「在沖米軍再編に係る基本確認書」を交わした。
この「基本確認書」には「政府は、在日米軍再編の日米合意を実施するための閣議決定を行う際には、平成十一(一九九九)年十二月二十八日の『普天間飛行場の移設に係る政府方針』(閣議決定)を踏まえ、沖縄県、名護市および関係地方公共団体と事前にその内容について、協議することに合意する」ことが明記されている。
しかるに今回の閣議決定については、県や地元関係市町村と事前の十分な協議はなされていない。
平成十一年の閣議決定は、地元との協議を尽くし、沖縄県の移設条件や名護市の受け入れ条件、さらに地域振興についても明記されており、地元の意向が反映されていた。
県としては、普天間飛行場の移設について、新たな政府方針を決定するに当たって、平成十一年十二月二十八日の「普天間飛行場の移設に係る政府方針」(閣議決定)を踏まえて、沖縄県、名護市および関係地方公共団体と事前にその内容について協議し、閣議決定(案)に盛り込むように求めてきた。
しかし、今回の閣議決定は、平成十一年の閣議決定を廃止し、また、「平成十八年度においては『政府方針』に定める『II地域の振興について』に基づく事業については実施するものとする」となっており、既に平成二十一年度までその実施が確約されている事業まで否定される恐れがある。
このように、政府と沖縄県および関係地方公共団体との「事前協議」が確約されているにもかかわらず、それが十分になされないまま閣議決定がなされたことは、極めて遺憾である。
菅官房長官はご存じないのかもしれないが、安倍総理は当時の小泉内閣の官房長官であり、ことの経緯は承知しているはずだ。沖縄側からの同意などは何一つ得られず、「地元の意向を聞きながら進めて」どころか、確約されていた事前協議まで反故にされ「極めて遺憾」の意を表明している沖縄があっただけである。
稲嶺恵一知事は、1999年に辺野古移設を条件付き容認した県知事であり、行政的には当事者中の当事者である。その稲嶺恵一県知事が「極めて遺憾」と表明している。もう一方の沖縄である名護市は1999年の条件付き容認時の岸本建男市長は病気で勇退し後継の島袋吉和市長が、V字形滑走路への変更で額賀防衛庁長官と基本合意した。だが、公約違反(選挙時の公約は政府の沿岸案反対であった)の誹りは免れず2010年の選挙で落選する。以後、名護市では辺野古新基地建設を容認する市長は誕生していない。
前回の記事にも書いたが、2006年に今日の事態は始まっていた。その状況に対して、なんらまともな手を打てずに強引に計画を進捗させ続けた政府の失策であることは間違いない。
菅官房長官が内閣を代表して何か言うたびに、ボロが出てくるだけである。
二つの閣議決定
参考までに1999年と2006年の閣議決定文書へのリンクを貼っておく。
普天間飛行場の移設に係る政府方針(1999年閣議決定、2006年廃止)
2006年の閣議決定は防衛省主導で行われ、その後に続く事業の進捗に関しても防衛省が責任を負っている。その強引な手法、地元地域社会との丁寧な協議や理解の積み重ねを欠いた振る舞い。沖縄防衛局長は「犯す前に犯すといいますか」と酒座で言い放ち、沖縄の猛反発をくらい移動させられたが、防衛省内では出世したらしい。
了