みやぎブログ

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菅官房長官発言について

辺野古新基地建設問題について、菅官房長官が言っていることは事実に反している。そのことは百も承知で、官房長官は発言しているのであって、あえてそのことを指摘することに徒労感を覚えなくもないが、このような発言をそのまま垂れ流すマスメディアがある限り、なにをか言うことを怠ってはいけないとおもい、ここに記しておく。

以下、引用は翁長沖縄県知事との初会談で行われた菅官房長官の冒頭発言からである。

 この飛行場について、19年前に日米で全面返還が合意をされた。そして3年後に当時の沖縄県知事と名護の市長の同意をいただいて、辺野古移設が閣議決定をしたという経緯もあることも事実だと思う。
 しかし、16年たっても、なかなか、いろんな問題があって進まなかった。今日までの政権の中で迷走もあった。そういう中で、一昨年に仲井真知事からご理解をいただいて、辺野古移設の埋め立て承認、このことに同意をいただいたところだ。

この飛行場というのは米海兵隊の航空基地「普天間飛行場」のことである。19年前の合意とはSACO最終報告書(1996)、3年後の閣議決定(1999)も事実である。だがその閣議決定の内容には、沖縄側の重要な条件が刻まれていた。

移設先とされた名護市では市民投票(1997)が行われ反対多数になった。市長および県知事はそれら反対の民意を前に、世界一危険と言われる普天間飛行場の撤去の重要性を勘案し、移設に関し条件を付すことでそれを承認した。閣議決定(1999)には、それら沖縄側からの条件(軍民共用空港であることや軍事基地としての使用期限、使用協定に関すること等)が盛り込まれていた。

その閣議決定にあった計画を在日米軍再編に関する日米協議の中で変更し2006年に日米合意し、それにともなって1999年の閣議決定を廃止したのは日本政府である。沖縄側に変更内容に関する説明もなく、最終的に日米合意する際にはその内容を事前に沖縄側に伝え協議するという約束も行いながら、その約束も反故にし日米合意したという事実がある。当時の稲嶺沖縄県知事は反発し、新しい辺野古移設計画に関しては同意も承認も与えていない。

沖縄の保守陣営が政治的に翻弄されながらギリギリのところで出していた受け入れ条件を反故にし、現在の辺野古新基地建設計画はある。

その事実を押さえておかないと、保守系である翁長県知事を「オール沖縄」で支え圧倒的な票差で当選させ、辺野古新基地建設計画を拒否している沖縄の覚悟を見誤ることになる。

官房長官は「政権の中で迷走もあった」と、民主党鳩山政権下での「少なくとも県外」とした動向を迷走のごとくほのめかしているが、実はそれ以前に、守屋前防衛事務次官を中心にした在日米軍再編合意時(2005/6)に、今日の状況はすでに始まっているのである。

これら事実にはまったく触れず、仲井真知事の「埋め立て承認」を、1999年の沖縄側の同意に接続する菅官房長官の発言は酷い。

今日の混乱は、ひとえに、自民党政権が自ら作った状況である。

日本国政府が、基地問題で沖縄に対して講じてきた数々の施策は、結果的に嘘に満ち満ちている。オスプレイ配備に関する問題でもそうであり、地位協定の問題然り、枯れ葉剤など猛毒のドラム缶が遺棄されている返還地の問題への対処も然りである。日米両政府は退役米軍人や民間からの様々な証言があるなかで、いまでもベトナム戦争時の沖縄への枯れ葉剤の持ち込み貯蔵などについて否認している。

このような有様で、このような現実に曝され続けている沖縄に、1945年の沖縄戦時に米軍が住民を収容所に閉じ込めている間に作った「普天間飛行場」の代替施設として海を潰して新基地を造らせろと迫ることの非道さを、少しは考えたほうがいい。

沖縄は、条件付きでこれを容認する沖縄もあったが、その条件ですらがうやむやに小馬鹿にしたように雲散霧消させられた沖縄があり、それでもなお是認することを沖縄に要求する日本国政府の傲岸不遜さよ。

 また普天間以外、いわゆる嘉手納以南。まさに沖縄の人口約8割が密集しているこの地域に所在する米軍基地の約7割が返還されることが一昨年、日米首脳会談で合意されて初めて具体的に明示されている。政府としてはこうしたことも一日も早く実現できるよう努力していきたい。

 嘉手納以南の返還もまた、ほとんどが沖縄県内での移設や他の施設への吸収等が条件となっている。1996年のSACO最終報告時と状況はなんら変わらない。これは1945年から70年も経た在沖米軍基地のスクラップ&ビルドであり恒久化のための措置である。

これをまるで沖縄の負担軽減だ、喜べ、政府も努力すると喧伝すればするほど、沖縄側はクールにならざる得ない。

日本政府が、沖縄と冷静に話し合えるような状況になることはあるのだろうか。