宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

「戦後国体」を超えて

沖縄の明日は慰霊の日。島が沖縄戦の悼みに包まれる。安倍が式典に出席するらしい。どんな酷いあいさつをするのか、いまから胸が痛い。

下記はFacebookにノートした“「戦後国体」を超えて”という私の雑文。ここに転載し参照できるようにしておく。

 --------------

天皇メッセージ

天皇メッセージの要諦は三つ。*1

  1. 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
  2. 占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
  3. 手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

これらはすべて実現した。①は1952.4.28に発効した対日平和条約を根拠にした沖縄の米軍統治、②は1972.5.15の施政権返還へと繋がり、③は日米安保体制の今日。

天皇メッセージは日本国の「戦後国体」の在り方を示し用意した如くである。沖縄が振り回され続け、向き合い続けているのは、日本国の「戦後国体」そのものである。

戦後国体

2013.4.28に政府主催で「主権回復の日」式典が行われ。2014.5.15に安倍首相は「集団的自衛権」に関する記者会見を行う。

日付に特定の意味を附す必要はないと思うが、日本の国家主義者たちはこの「戦後国体」の中の国家主義者でしかない。日米安保体制に異議などあるはずがないし、米国の属国呼ばわりされても痛くも痒くもない。沖縄が安保や基地の過重負担に対して構造的差別を指摘しても、「戦後国体」そのものの根幹を揺るがす気など誰にもないのだから同情はしても解決のための方策はとらない。

拒否と懐柔と

1996年のSACOは、沖縄の米軍基地のスクラップ&ビルドであり、居座り続けるための中南部から北部への転移だった。辺野古新基地建設に反対するということは、米軍が沖縄に居座り続けることへの拒否である。

その拒否を懐柔するために、政府は振興策を使い住民を二分し計画を進めてきた。基地を受け入れた市長による3期12年もの長きに渡って振興策を充分食べてしまって、その実体は基地被害や基地の存在そのものに見合うモノではないことを知ってしまった名護市有権者の投票行動の結果を、「誇り」や「アイデンティティ」といった実体が不明確な言葉で持ち上げることはとても危険。

振興策という名の政府からの財政拠出信仰を捨てきれない多くの県民がいるのが現実ではないだろうか。新基地を様々な条件やレトリックを使い、自ら受け入れていた十数年間を沖縄は忘れてはいけない。その沖縄は「誇り」もなく「アイデンティティ」もない沖縄だったのか。そんなに遠い過去の出来事ではない。

2014年の沖縄県知事選挙

2014年11月の県知事選は、これまでの県知事選とは違う。決定的に違う選挙になる。

2013年末に県知事は辺野古新基地建設の埋立承認をしてしまった。2014年4月には日米共同声明で「普天間飛行場キャンプ・シュワブへの早期移設及び沖縄の基地の統合は,長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」と歌われてしまった。*2

つまり2014年11月の県知事選挙で、仲井眞県知事もしくはその後継が当選するということは「長期的に持続可能な米軍基地の島」沖縄を県民自らが支持するということに他ならない。

飴と鞭の限界—襲いかかる国家

1972年の施政権返還以来、日本国政府は「戦後国体」を維持するための鞭として立法権を揮い続け、沖縄の米軍基地に供する土地等の権原を得てきた。1997年の特措法改正で県知事の関与すら既になくなり国の思うがままだ。「償いの心を持って」とした沖縄への飴と鞭の飴である沖縄振興に関する特例や振興策等は、もう既に基地とのバーターを隠そうとしない。

限界だろう。

沖縄は新たなステップを踏まなければならない。日本国ができる恫喝と強行以外の懐柔策は飴でしかない。その飴に対する、名護市民がみせた姿勢こそが大事だ。稲嶺市長が再編交付金に頼らない市政を進めていることの重要さを軽く見てはいけない。地に足をつけた、小さな自治体の当たり前の営みにこそ希望がある。そのことを「誇り」や「アイデンティティ」といった言葉で飾る必要はない。

わたしにはよくわからないが、保守や革新といった政治的イデオロギーはとても大事なんだろうと思う。しかし、自民党公明党社民党共産党も、それぞれ本土の中央とのつながりがあり、そのつながり故に沖縄が分断されていられる状況ではない。ことは日本の「戦後国体」に関わることであり、政府は総力をあげて沖縄を分断し「戦後国体」の基盤に現状のまま沖縄を組み込み続けるべく襲いかかる。

拒否あるのみ

応分な負担も、安保廃棄もいう必要はないだろう。現段階では、辺野古新基地建設だけは認められない。沖縄は「長期的に持続可能な米軍のプレゼンス」を一身に引き受ける気は毛頭ないと拒否するだけで充分だろう。

その拒否が「戦後国体」を変える。

f:id:nagonagu:20140622080347p:plain