チムワサワサーする7月
断片的な情報に過剰反応したくないが、なんだかチムワサワサーするのは避けられない。
分断線は絶えず引かれ続ける
「警戒船」の請負任務はなんなんだろう。ただうろうろしてたらいいわけではないだろうから、事業者が不審と規定する事象を発見したら報告するなどの任務はあるのだろうが、阻止する役割など間違っても担わないでほしい。
カネで分断するのは目に見えていた(いる)し、予想の範囲内とはいえ酷いことをする政府は。これもみな税金である。
仲井眞県知事の公約破りの埋立承認後、名護市長選挙でこそ反対する現職が勝利したが、その後の石垣・沖縄市と自公選挙協力が結果を出している。仲井眞県知事の埋立承認への怒りは、県民が等しく共有しているとは言い難い状況があるのを冷静に受け止めなければならない。そのうえで、どのように現状を認識し、辺野古新基地建設を断念させる道を切り拓くのかを考えなければならない。
公明党の動きを読めずに、判断留保・停止している状態が続けば、与野党とも有権者に見捨てられる。その状況で利益を得るのは政府権力を握る側であるのは目にみえるようだ。
共に生きるために
カネと権力と剥き出しの暴力による分断線に対して、分断される我々自身を繋ぎ直す帯紐のような共生線を引かなければならない。我々という我を私たちはどのように発見できるのか。
地域社会では既にユイマールの相互扶助の精神も何もかも壊されてしまったのか。消え去ってしまったのか。オスプレイ配備反対の県民大会には保守系首長の自治体からもバスが出ていた。その首長たちはいま、辺野古埋立を承認した仲井眞県知事の三選出馬をコールする。
沖縄が毅然と拒否していたモノコトを政府に押し切られ、このまま瓦解するままに瓦解し日米両政府の「長期的に持続可能な米軍のプレゼンス」に協力する沖縄になるのか。
私はいやだ。
決然と戦いの場に向かい毅然と戦う、同時に分断を排し共生を目指す。敵を見誤ってはならない。
【追記】
昨日の琉球新報14/15面のビジュアル版を分割して画像としてスクラップした。
了
今朝みつけた近所の庭木の黄色い花