みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

沖縄・岩国・座間が明日に架ける橋

ずっと抱え続けていた仕事の最後の山を一気に越え、先ほど終えた。その余波を受けて、思っている大事なことを書き綴る。ごめんなさい、例によって少し酔っている。

ほんとうに最後の最後の場面の、岩国市長選挙は織り込み済みだったので、結果に対する動揺は少しはあったものの、冷静に考えれば、有権者の方々が追い込まれた位置や、様々なことを考えれば、井原氏に期待していた(正確には井原氏を市長にする岩国市民に期待していた)私のショックなどたかがしれている。井原氏に投票した市民の意思は消されるものではないし、おそらく僅差で当選した福田氏がいちばんよくわかっているだろう。岩国市民のこれかの道のりを思えば軽々に口にしてはいけないと思うが、主権者の一票は競馬の馬券じゃないんだから井原氏の得票は外れ馬券のように中に舞う紙くずではない。

重大問題は沖縄でまたしても起きた海兵隊員の犯罪である。私たち沖縄人は、1995年に少女の人権を守れないような状況を変えると決意した。そのことを忘れていたんじゃないか、その意思が歪められた十年余じゃないかということを、いままさにまざまざと思い知らされている。政府や米軍の悪口や悪意をむき出していると産経やその類の人々は感じているようだが、ことはそんな単純な話ではない。私たち、沖縄人は、自らをいま、まざまざと見つめて慟哭をあげなければいけないところに立たされている。

これから起るだろう、起こさなければいけないことは、私たち沖縄人が真に試されていることだと私は思っている。植民地の住民と蔑むがよい。日米安保に私たちは捧げられ、そのために生きて隷従しなければならないマイノリティと、その位置に隷属する人種と憐れむがよい。

しかしだれも恐れないほうがいい。おそらく沖縄の人間は、マジョリティである日本人をとって喰おう、虐げた報いを返すルサンチマンに燃えているわけではない。状況はもっと逼迫している。

岩国で起きたことは、1997年の名護市民投票で、名護市民が有権者の過半数以上の署名で求めた条例が市長と市議会に否定され条件付賛成が入った条例に摺り替えられて以降、私たち名護市民・沖縄人が十年余の長きに渡ってつき合わされている「基地か経済か」というまやかしの選択肢と同根である。沖縄で使って功を奏した手法が(局地的とはいえ、再編交付金の原理は地域を選ばない)日本全土化しているのである。自民党公明党選挙協力も1998年の沖縄県知事選挙から始まった。まさに現在を規定している流れは、あのときから始まっている。強行採決三昧の国政のあり方も、憲法改正を、日米安保を変態させていく動きもすべてそうである。かつては平和勢力であったらしい公明党さんには猛省を促したいところだが、やっていることをみる限りでは無理だろう。

いま起っているのは、米軍再編なんかじゃない。【日米同盟:未来のための変革と再編】である。私たちは【再編】という個別の基地の減ったり増えたりにつき合わされているが、これは日米同盟の【変革】である。この【変革】を私たちが望むのかどうかを、もう一度、いや何度でも、私たち自身に問い返さなければならない。

岩国市民は、ほんとうに耐えに耐え抜いてがんばったと思う。あの僅差である限り、新市長もおいそれと岩国基地が極東最大級の航空基地に変態することを「容認」とはいえない。ここから、どのように「地方自治の本旨」を我が物として踏ん張れるか、名護市でこの問題に向き合い続けてきた私には、岩国市民という仲間ができた気がしている。

ここからだ。日米両政府、及びその決定を支持する読売や産経などの大手マスコミが誘導する論調に抗い、市民として【日米同盟:未来のための変革と再編】が目指す未来ではない、私たちがともに生きていける未来への変革の道は(などと大きな口をたたきながら)。「地方自治の本旨」を歪め破壊する再編交付金のような恣意的な制度に、主権者の権利や意思を破壊されないようにしながら、「地方自治の本旨」を我が物に取り返す。名護市民も岩国市民も、そして米陸軍司令部の移設と自衛隊に新設された「中央即応集団」が一体化する座間市も、その最前線に立っている。

心から思う。ともに生きていける世界をつくりだしていこう。むずかしい政治の話はよくわからないが、住民投票という主権者の意思決定を潰してまで政府が進めようとしていることは、まずろくでもない【未来への変革と再編】であると考えて間違いない。

政府が、岩国と名護と座間を完全に手中に収めたら、残るは憲法九条の廃棄しかない。地方自治は民主主義の学校とはよくいったものだ。岩国と名護と座間はいま、この国の民主主義の最後の砦であり続けている。

がんばろう、岩国のみなさん。正念場だね、沖縄の我が同胞よ。ここからだ。

私は身を横たえて橋になる。なんというラブソングだろうね。ともに生きていこう、私はあきらめない。

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