構造改革と沖縄
いくつかの切り口で沖縄の現在を考えてみる。
ひとつは、「構造改革と沖縄」
新基地建設の是非を問うた97年の「市民投票」では、反対多数になるのに、98年の市長選挙以降、三度連続で基地建設を推進する勢力が市長選挙で勝利する。
基地建設を止めたい政治勢力は世論調査の「反対多数」に依拠しているだけでは、やがて世論からも見放される。
有権者の投票行動の根底には「不安」がある。
95年9月に自社さ・村山政権から政権を引き継いだ橋本政権が、「構造改革」という言葉を戦後政権の中ではじめて正式に打ち出した。新自由主義を根底に、「自己責任」や「官から民へ」が標榜され、脆弱な財政基盤の地方は切り捨てられていく。橋本後の、小渕や森で多少景気対策面での公共投資増額など揺り戻しはあったものの、小泉政権にいたって国の根幹が変わるくらいに格差拡大の嵐が吹き荒れた。その影響は、まだまだこれから酷い形で、私たちの社会に顕現化してくるだろう。
そのような「構造改革」が国家政策としてはじまる中で、90年代中頃の沖縄は時限立法で30年も続いた復帰特別措置の終わりが目の前に来ていた。
政府は、正式に「海上ヘリポート」反対を98年に表明した沖縄県に対して、「沖縄政策協議会」の非開催というかたちで露骨に兵糧攻めにあわせてもいる。政府と協調することで、特別の手厚い「振興」を得ることに全精力を傾ける政治動向があるのは想像に難くない。その部分では革新も政府批判・保守批判に力強さはない。
そうして、98年の名護市長選挙・沖縄県知事選挙では、岸本市長・稲嶺県知事が誕生する。
この両者は、二期目になる02年の選挙でも圧勝するが、その2002年は、新しい「沖縄振興特別措置法」による振興開発計画の10年がスタートした年である。
全国的に、「構造改革」の嵐が吹き荒れ、都市部ではなかなかみえないだろうが、地方は疲弊し惨憺たる状況になっている。三位一体改革も、国の財政赤字解消のために地方財政が切り捨てられているだけである。新自由主義による「構造改革」は、必然的に格差社会を作り出していく。セーフティネットもほころびだらけで、やがて貧しき弱き人々は「改革」に殺されることになる。
有権者の投票行動の根幹には「不安」がある。
新自由主義に基づく「構造改革」がはじまる以前は、地方における自民党は土建屋さんたちの支持を得て見返りに公共工事などの利益を調達する役割を担っていた。そうやって再配分は行なわれてきたのだから、よっぽどのことがなければ野党に投票するインセンティブははたらかない。
アベシンゾーが「私か小沢か」と問うて大敗北した今回の参院選は、行き過ぎた新自由主義的「構造改革」への審判ではないかもしれないが、そのようになる可能性は充分に孕んでいる。しかし、小沢民主党が、その受け皿になりうると単純に考えるのは危険極まりない。民主党は自民党以上に急進的な「構造改革」を主張してきた政党である。小沢氏の政治的リアリズムがどこまで自民党との相違点を明確にするか慎重に見極める必要がある。
「特別措置」を渇望するあまりに、政府と協調してきた沖縄もまた、国家の基本路線の危うさに気付き、それを変える道を模索しなければならない。利益誘導のための「沖縄内対立」を繰り広げている場合ではない。利益誘導のための賭金にしている新基地は、あまりにも沖縄の過去・現在・未来に酷すぎる。
「構造改革」への不安から、「特別措置」や「振興策」にすがってきた沖縄だが、いずれ「自立」していかなければならないのは誰にも異論はないだろう。その「自立」の処方箋をどのように描けるのか、それは計画行政のようなかたちで描けるものなのか。
米軍基地が差別的にあり続け誰もまともに解決しない沖縄からみていると、この国には、機会の公平さをうたい格差の不公平さを自己責任で糊塗する新自由主義ではない「構造改革」が求められている。
沖縄・名護市における新基地建設の問題は、AbEndの根幹に関わる問題だと思うのは、あまりにも自家撞着しすぎているだろうか(笑)。私は誰も殺したくないし、誰にも殺されたくない。そして願わくば、殺させたくない。
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いろんな資料読みしながら、いくつかの切り口で沖縄を考えているが、「子どもたちに名護市で起きた(起きている)ことを語るための言葉の練習」に取り掛かろうと思っている。
夏休みは、子どもたちにとって、とても特別な大切な時間。そんな夏休みにも、子どもたちとイマについて話し合える、言葉を探したい。