みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

パレードがゆく。人々の波は絶えずして。

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今年は年末年始の県庁からはじまり、いろんなことがあった。

ほんとうにいろんなことがあったが、締めくくりに、パレードがあった。

年末年始の県庁行動は、平和運動センターや既存の運動体ではなく、市民有志によって主体的になされた行動であった。もちろん、その市民有志には労組の方や運動体の方などもいた。しかしみんな組織の肩書きではなく、市民として参加していたはずだ。高江や辺野古でずっと行なわれていた/行なわれていることが、くっきりと姿を現した。

メディアは「○○の会」や「○○会議」などわかりやすく報道するため、人々をグループ化する。人々もそのように集団を形成し代表を置き振る舞う。しかし、年末年始の県庁の動きは違った。しなやかでしたたかななにかが蠢きはじめていた。

私は「合意しないプロジェクト」が大好きなのだが、状況に見合った新しい抵抗の創造と連帯が私たちにはどうしても必要だ。まだ名付けすらされていない動きが沖縄ではじまっている。そう予感させるに充分な年末年始の県庁だった。

ツイッターフェイスブックなどのソーシャルメディアをつかって、人々がつながり情報を共有し、個々の意志と責任でゆるやかに動き出す。この流れは止まらないだろうし、どのようにリアルな方向での「力」となるのかはまだわからないが、確かに動き出している。

9月29日、大型台風の最中の普天間基地・大山ゲート封鎖は、そのような呼びかけ合いで始まりなされ、それを守るために30日、大勢の民衆が駆け付けた。

既存の運動体を組織し属してる人々と、属することをしていない人々が、ゆるやかに結びつき現場をつくりだしている。お互いを認め合い、人々が共に生きれる地平を切り拓くために。

このような非暴力の運動は、昨日今日起こったことではない。普天間基地のゲートに対するオキュパイだって、反戦地主の方々の粘り強い抵抗の歴史を抜きにしては語れない。我々の現在は断片化され孤立したものではなく、豊穣な人々の行為の連なりの中にある。

この1年を締め括り、次のステップへ開くにふさわしく、「オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件糾弾!」というスローガンを掲げた「御万人大行動」というデモは、「愛と怒りのサウンドパレード」として行なわれた。

次はきっと、シュプレイコール風DJサウンドとか、ラップ風シュプレイコールとか、融合して新しい文化が生まれるかもしれない。

パレードがゆく。老若男女、組合の人、市民、ミュージシャン。人々は出会いながらしなやかにしたたかに、闘いは続く。

【追記】沖縄タイムスの記事に素敵なコメントをみつけた。

「75年の人生で、こんな楽しいデモは初めて。参加して、しなやかに闘うことができると初めて知った。音楽を鳴らしながら、来年も基地反対の声を上げていこう」新川秀清(第3次嘉手納基地爆音差し止め訴訟原告団団長)

 


YouTube: 「配備撤回を」音楽に乗せ オスプレイで「大行動」