宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その3)

 多忙ゆえに、報道等情報を追いかけることもできず、ましてや散らかし放題の手持ち資料をひっくり返し整理することもできない。このまま、ゆとりができるまで、なごなぐ雑記の更新を放置しておこうかとも思ったが、とりあえず状況に対する断片的な私見をメモしておくことで、自らの思考の整理に役立てるため(その3)を書いておく。

 3月27日に、沖縄大学土曜教養講座で『沖縄論』に関するシンポジウムがある。縁あって参加するので、現在の私の状況では、そこで発言することの内容に集中できるかどうかが関の山である。そのための思考の断片なら、もしかして、なごなぐ雑記になにか書くことができるかもしれない、期待しないでときどき覘いてください。

「okidaidoyoukouza.pdf」をダウンロード

【移設】

 辺野古への新基地建設計画が、海兵隊普天間飛行場の単なる「移設」でないことは、現行計画の中身や経緯をみれば誰もがわかる。それなのに、社民党さんまでが遮二無二「移設」先を探している。このような状況では「移設」先が頓挫して、辺野古に舞い戻ることもありえる。政治家や関係者はそれぞれ懸命なのだろうが、このステージはなにかおかしい。

 民主党は「対等な日米関係」を標榜していたのだから、10年経っても履行できない計画の根源的な問題点を検証すべきなのに、さほどまともな議論も検証もせず外相も首相も「海兵隊は抑止力」などと思考を停止し右往左往している。

 沖縄に在日米軍(それも悪名高い海兵隊)を押し込めて不可視化する差別政策はもとより、1945年以降、65年間も他国の軍隊が居座り続け、それに国民の税金を注ぎ込んでいる状況は異常である。内外から「属国」といわれる所以である。

 そこを見据え、まともな検証と議論を行なわない限り出口はない。あったとして、民衆の徹底した抵抗と混迷が待っているだけである。新たな敵対性は、より日本国という国家の歪さを裸にする。

【陸上案】

 辺野古陸上案は、在日米軍再編に関する日米協議に出てきてぽしゃった案である。

 米側は陸上案は地元受入れ困難とし、当時の岸本建男名護市長が検討可能と日米協議にシグナルを送った「浅瀬案」を支持していた。島袋吉和名護市長時代に名護市の誘致派のみなさんが発行したやけに豪華な冊子『決断』でも、故岸本市長は、もし政府が陸上案を決定するならば「自らが座り込む」と額賀防衛庁長官に発言していたことが記録されている。

 そのような陸上案を、政府は「ゼロベース」などと言いながら再浮上させている。自公政権と変わらないどころか、なにかが狂っているとしか思えない。日本国の政治は、ここいらへんが限界領域で、その壁にぶち当たっているのかもしれない。

【民意】

 去った総選挙で沖縄の有権者は、全選挙区で現連立政権の議員を誕生させた。比例で共産党の赤嶺議員も貴重な議席を維持した。

 「ゼロベース」などと言いながら、県内移設を選択肢に入れ政府がすったもんだしている現在の状況は、どんなに言葉を言い繕っても、沖縄県民の民意を蔑ろにする行為でしかない。

 国民新党の下地議員が合理的だといわんばかりに嘉手納や諸々を選択肢にあげ奔走しているが、沖縄のマジョリティの民意と乖離し脱臼しはじめている感がある。

 まともな思考力のある沖縄の人間なら、駐留軍用地特措法を圧倒的多数で可決する国会や政府を心から信頼することなどできない。しかし、民主党は総選挙の期間中に「少なくとも県外移設」と発言していたのだ。そこに対する沖縄県民の期待を裏切る政府の行為は、民主主義を根幹から否定している。

 現在の政府の右往左往、およびそれを報じる報道は、沖縄県民の精神を深いところで傷つけ続けている。

 これが沖縄だから許されるのだとしたら、この国家の差別的行為は必ずや国民マジョリティ自身に跳ね返り牙を剥く。

【沖縄】

 新基地建設問題がなにゆえに、こんなにも混迷を深めるのか。

 民主党連立政権はコトの問題の大きさと卑小さを舐めてかかっていたのか。報道等で散見する印象では、沖縄もその一員である「日本」という国家の政治的貧困さしか見えてこない。

 おそらく近代国民国家を成立させる際に包摂した沖縄は、日本という国家にとっては道具でしかない。敗戦後の天皇メッセージや沖縄の施政権返還に際しての密約や、その後の基地維持政策としての振興開発計画体制や、超党派で沖縄が決起した1995年以降にとられた島田懇談会事業、サミット、2千円札の発行、新基地建設に微妙に紐つけた北部振興事業などをみているとそうとしかいえない。それは自公政権の政策だっただけではなく、日本国の「国体」の如き宿痾である。

 沖縄が沖縄自身の現在を見据え将来を展望するとき、この10年余で起きた(行なった)事柄から真摯に問題の把握と解決へ向かう精神の志向性を獲なければ、いつまでも日本国の道具としての島嶼であることからの解放はない。自立・独立など論外である。

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