宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

県民大会に自公も参加か(追記あり)

3月23日(日曜日)の午後二時から、北谷町北谷公園野球場前広場で「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が開催される。自民党公明党は、参加しないことを決定していたが、急遽参加方針に舵を切り出している。

県民大会参加 自民が「再度議論」(琉球新報3.12)
自民、役員会で再検討/県民大会(沖縄タイムス3.12)
県民大会 知事、参加含め検討へ(琉球新報3.13)

0313_1 新聞記事を読んでも、あんまり意味がわからない。

自民党沖縄県連は、3月7日に被害者感情に配慮などを理由に県民大会へ参加しないことを決定していた。なんか明日(14日)昼に、議員総会を開き再度結論を出すことにしたという。
状況が変わったというが、なにが変わったというのだろう。

県民大会 自民、あす総会で結論(琉球新報3.13夕刊)

今日の夕刊を読んで、わかった。

公明党が県民大会へ参加する方針を今日までに決定したらしい。
これは自民党沖縄県連としては、決定的に状況が変わったというべきだろう。

おそまつな顛末だが、これが沖縄の自民党である。彼らの政治思想信条は、“長いものにまかれろ”、“目先の利益に喰らいつけ”というものである。

1972年の米国から日本への沖縄の施政権返還(本土復帰)の際には、復帰したら「イモと裸足」の生活になると喧伝して、米軍統治のままでいるべきだと主張し続けていたのはこの方々である。
復帰したら、日米安保を強力に支持して米軍の存在を積極的に評価してきたのもこの方々である。

1995年の超党派の県民大会のときには、この方々も参加していたが、それから以降の失われた十年余の、政府の「振興策」や様々な経済施策ですっかり骨抜きになった沖縄で権勢を誇っているのもこの方々である。

0313_2しかし、この権勢は公明党さんの存在なくして成立しない。1998年の県知事選挙(実はそれ以前の名護市長選挙からだが、その時点では公然ではなかった)において自公の選挙協力が成立することで、現在につながる体制が確立している。自公の選挙協力なくして、自民党沖縄県連は、まともに立ち行かない。

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自民党県連は、週明けにも役員が上京し、党本部内の見直し作業などを確認するらしい。バカじゃないのかこの連中は。
石破防衛相が、地位協定や安保について少し踏み込んだ発言をしても、翌日にはすぐさま政府・防衛省として否定し従来通りだと発表しているだろう(沖縄タイムス3.12)。政府与党である自民党がどんな見直し作業をしているかなど確認するまでもない。見直し作業の結論は、「地位協定の運用改善」である。

鵺のような公明党さんが、参加することを決定した県民大会に、引っ張られて自民党も参加するだろう「超党派の県民大会」。限りなく虚しい。そうでもして一丸となって向かっていかなければならないほど、沖縄を縛る頚木は固く深いという現実の酷さ。

私は、県民大会に参加するだろうか。それすら怪しいが、砂を噛むような虚しい思いを超えて、抗議の意思を貫徹する「作業」をしなければならない。

【追記】0314.19:00

0314

自民党沖縄県連は、組織的な県民大会への不参加を確認したらしい。→タイムス3.14夕刊

タイムスの記事では、知事が参加に前向きみたいになっているが、ナカイマ知事は「超党派」を前提にしているので、これで知事の参加もなくなったと考えるべきだろう。

私は、何があっても家族で参加することにした。友人知人にも声かけまくる(といってもほんの数名だが)。沖縄における基地問題は、政治的な思想信条云々以前に、人権問題であることを沖縄の「政治屋」さんたちはわからないといけない。有権者も、自らの投票でこの事態を固定化し続ける選択をしていないかソーイリティ、ムヌカンゲーしないといけない。

▲追記ここまで▲

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