宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

西山論文を読む(1)

515jpeg 5.15といっても、ピンとこない方々も多いとおもう。

1972年の5月15日、沖縄の本土復帰の日である。(写真は政府間の調印式)

日々の暮らしに追われていれば、沖縄在住のウチナンチュである私ですら新聞でクミアイの方々の行進報道をみて「あっ、5.15か」などと思い出すほどしか意識していない。そんな5.15だが、今年で35年になる。

新基地建設問題に翻弄され続ける名護市民として、最近は、ほんとうに遅ればせながら、沖縄返還の日米密約に思い至っている。なぜ、県内移設なのか、なぜ、米軍再編で日本政府はことさらに「沖縄の負担軽減」と強調し続けるのか、なぜ、なぜ…?

問いの立て方として、最初から答えのわかっている問いを、結論に導きやすくするため立てる場合もあるだろう。しかし、私はほんとうにわからないのである。なぜ、この国は、米国と対等でまっとうな議論をしないのか、なぜ、普天間を返還させるのに、10年も経って実現できない場所への移設計画に固執するのか。防衛省はなぜ、ジュゴンへの影響も考慮し陸に乗り上げさせてまで、ココとしか思考できないのか。

沖縄の基地の自由使用の密約や、様々なことがなされた「返還」時から、なにも変わっていないのではないか。政府・防衛省は沖縄に対して強気で迫って くるが、沖縄はスジを通して根底から政府相手にまっとうに対峙すべきではないか。そういう意味では、沖縄の政治勢力は保守も革新も腰が完全に砕けているよ うに思えてならない。

自己満足のための他者批判に精力を使うことなく、出口を探すために、私は考え続けたい。

3月23日の私のブログ記事「沖縄返還密約」で紹介した裁判の原告である元毎日新聞記者の西山太吉さんの論文が、昨年5月15日から17日にかけて琉球新報に掲載されていました。私は、掲載時には合意に対するショックでチルダイして読み逃していたようです。この論文を読みながら、現在と出口を考えてみたい。

-----ココカラ西山論文(小さな文字はヤスヒロのメモ)

 

「日米軍事再編――沖縄返還の今日的意義」(3-1

最大規模の同盟変革
34年前の秘密手法 再び

いま、ほとんどのメディアが呼んでいる「米軍再編」は、実のところ、「米軍再編」といわれるべきものではなく、「日米軍事再編」ないしは、「日米軍事共同体の結成」といわれるべきものである。

今度の場合、在日米軍自衛隊の「一体化」を認めた上で、一部の米軍基地のリロケーション(再配置)を実現しようとする防衛庁主導のいわゆる“トータル・パッケージ方式”による対応で事が運ばれた。

小 泉首相は、任期も残り少なくなったいま、この問題について、リーダーシップを発揮しなかったともいわれているが、この“真空”時間帯の中で、“日米同盟” 強化至上主義をモットーとする小泉内閣を基盤に、防衛庁が、かねてから狙っていた“同盟の変革”に突き進んだというのが実情であろう。

(“米軍再編”ではなく“日米軍事再編”という指摘は、本質を覆い隠す “名”ではなく、“ほんとうの名”で呼ぶ行為。大切である。再編に関する日米協議を前に、防衛省の守屋氏が首相を取り込んでいく状況や、小泉・ブッシュ会 談に守屋氏が異例の同行をしているなどは事実として報道されている。防衛省イニシアチブの証拠はゴロゴロしている)

■決定的な転機

ローレス米国防副次官が、いみじくも述べているように、いま、まさに沖縄返還以来、最大規模の日米同盟の変革が、実行されようとしている」(強調:ヤスヒロ)のである。このような基本認識の上に立って、問題をとらえ、その本質を究明していかなくてはならない。

額賀防衛庁長官が、最終報告のあと、「米側に対し、日米安保の新しい枠組みについて、議論するよう提案した」と語っているように、日米安保体制は、これまでたどってきた一連の変質過程から、さらに、大きく抜け出して、決定的ともいえる転機を迎えようとしている。

つまり、日米安保は、「日本本土と極東の平和と安全の保持」を目的とした当初の防御的性格から完全に脱して、主として、中東を中心とした「不安定の弧」(注・米国の立場からの規定)をにらんだ米国の世界軍事戦略の基軸へと変化しようとしているのだ。

「最 終報告」の冒頭でも、とくに強調されたのは、“中国脅威論”ではなく、「日米閣僚(注・2プラス2)は、イラク及びアフガニスタンを再建し、これらの国々 において民主主義を強化するとともに、より広い中東における改革の努力を支援するための、日米の努力の重要性に留意した」とあるように、いわゆる米国流民 主主義を中東全域に輸出しようとする“逆ドミノ理論”の高らかな“宣言”であった。

この理論は、失われたイラク戦争の大義名分を再構築するものとして、持ち出されてきたものであるがその有効性が、いかにもろいものであるかは、すでに泥沼の様相を呈しているイラク情勢が如実に物語っている。にもかかわらず、最終報告には、それへの反省など、みじんもない。

イラク首相が、日本に対して自衛隊の派遣は年内で終えて文民による援 助を要望しているにも関わらず、アベ政権は自衛隊派遣延長を強行しようとしている。それが、西山氏の指摘する決定的な転機を成した日米のゲンザイなのだろ う。新基地建設の計画変更を拒む頑なな様子は、転機のロードマップ変更を、日米がおそれているようにもみえる)

■歴史は繰り返す

それにしても“歴史は繰り返す”というが、今回の日米軍事再編の動きをみていると、まさに、あの沖縄返還時の手法そのものの再現といっても、決して言い過ぎではない。

い や、“繰り返す”というよりは、あの当時、まいたタネが、その後、芽を出し、どんどん成長して、この手狭な庭園の中で、必要以上に、深く、広く根を張りめ ぐらすほどの巨木としてもはや、ちょっとやそっとで動かすことのできない存在にまでなったといったほうがよい。しかも、この巨木の周囲には、“立ち入り禁 止”の柵が張りめぐらされた感すらする。(強調:ヤスヒロ)

これまで、二度にわたって公開された米国の外交機密文書さらには、先に、世間を驚かせた吉野文六元外務省アメリカ局長の証言にみられるように、米国は、沖縄返還に際し、二つの基本方針でのぞんだ。

一つは、巨大な沖縄の軍事基地の自由使用であり、ほかの一つは、基地関係諸経費の日本側による肩代わりの推進である。

こ の二大方針に基づいた米側の強い要求に対し、日本側は、大幅な譲歩をもって応じ、対米コミット(約束)を国内に流した場合の摩擦や混乱を避けるため、ある ものは隠し、また、あるものはウソをつくといった外交史上、例のない情報操作を繰り広げ、交渉成果の“美化”(吉野証言)に奔走したのである。

(巨木。新基地建設は成長過程の先端であり象徴。タネは密約で蒔かれた、その密約に縛られ「県内移設」が余儀なくされている。沖縄側が、この“密約”を、この成長を放置することは、保守だ革新だとどんな偉そうな物言いをしても奴隷の政治である)

■空手形

例 えば、“核抜き”の問題では、それを「永久秘密」とすることをあらかじめ想定してか、正式な外交ルートとは別に、「密使」をもって衛に当らせ、表向きは “核抜き”をうたいながら、裏では、緊急時における核の沖縄への持ち込みについての日米両首脳による秘密合意議事録の署名という政治犯罪をやってのけた。

また、返還後の米軍基地の扱いについても、「返還が先決であり、そのため実質的な話し合いは、ほとんどしなかった」(吉野証言)にもかかわらず、「都市部を中心に、基地の整理縮小を推進する」と宣伝し、「基地返還リスト」を公表したのである。

これがいいかげんな“空手形”であったことは、三十数年たったいま、沖縄の米軍基地が、日本全体の米軍専用基地の75%を占めているという事実が証明している。

政治犯罪。これを放置するジャーナリズムは、存在価値ゼロであるばかりか、犯罪に加担する勢力であることを、私たちは認識しなければならない)

思いやり予算原型

財政面では、米側支払いの形をとったVOA(ボイス・オブ・アメリカ)の沖縄外への移転や米軍用地の復元補償などを対米支払い三億二千万ドルの中に含める一方、今日の「思いやり予算」の原型ともいえる米軍施設改良・移転工事費、六千五百万ドルを地位協定から、はみ出していることと対米支払いの増大につながる(米外交機密文書)という判断から、ついに、発表しないまま実行に移し、さらに、円をドルに交換して、無利子のまま、米国に自由に使わせて一億一千万ドル以上の便宜供与を実施したことも公表しなかった。

以上の一部すなわち、対米支払い根拠の偽装と復元補償の肩代わりや、六千五百万ドルの件は、返還時に暴露された電信文中に明記されていたが、ほかの問題も、すべて米外交機密文書により詳細が表面化し、吉野氏もこれを追認したのである。

(つづく)