宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

兄貴

Photo_1 とても大好きな兄貴がいる。
私は、末っ子の四男で兄貴たちはみんな年が離れているが、そのなかでも年の近い三男の兄貴には、とても面倒をかけた。

私は兄貴に謝らなければならないことがある。小学生のころ、中学生だった兄貴とケンカして、私は父親の後ろに逃げながら憎まれ口を吐き続け、父親に助け を求め、兄貴は父親に殴られたことがある。理不尽な行為に兄貴は家を飛び出していった。2・3日して兄貴は友達の家から帰ってきたが、あのケンカはすべて 私が悪かった。私は兄貴に「ごめんなさい」のことばを伝えていない。そのことがずっと心に残っている。私はほんとうに、イヤな甘えん坊の小賢しい弟だった。

高校卒業して、かばん一つではじめて上京した1978年の三月。三畳一間の寮で、金も無く持ってきた冬物の服を重ね着して寝ている私を訪ねてくれて、布団やら電気ポットやら必要な道具を買い揃えてくれたのも兄貴だった。

私のやっているわけのわからないエンゲキなるもののチケットをいつも買ってくれたのも兄貴だった。椎間板ヘルニアの手術で入院したときにも、仕事を 休んで泊りがけで看病にきてくれたのも兄貴だった。生意気な若造の私の、青臭いエンゲキ論や社会批判にも、飲みながら根気よくつきあってくれた。公演のあ と、私の住んでいた武蔵関で飲んで一緒に「ひょっこりひょうたん島」を歌いながら帰ったこともある。

兄貴は、苦学して国費で商船大学(写真は兄貴も乗った実習船の日本丸)を卒業し、船を造る会社にエンジニアとして就職した。お見合いで長崎の素敵なお姉さんと結婚し、子どもにも恵まれ、三人で仲良く暮らしている。

名護に帰って暮らしている私が、基地建設反対で動いたときも、「ヒーロー、何も間違っていない。私の知り合いの自衛官の方も、『沖縄に新しい基地建設をするのはおかしい。弟さんの行為は正しい』といっている」と、ことばをかけてくれたのも兄貴だった。

最近は、仕事を終えたら、家族で沖縄に帰ろうと思うと、私に話してくれていた。
兄貴は、沖縄をずっと離れて暮らしながら、沖縄にいつか愛するものたちと帰ることを想っていたのかもしれない。商船大学に行ったのも、海の向こうに浮かぶ生まれた島を想っていたのかもしれない。

兄貴は、いま、ちょっと病気で患っているが、私のブログをきっと読んでいてくれていると思う。兄貴が元気になって、愛する家族といつか帰ってくるのを、私は生まれ島で待っている。