宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

ブヒ字案外伝

Ookami むかしむかし、ある小さな田舎町にブヒ氏という市長さんがいました。

ブヒ氏は市長さんとして、その地のみんなが反対する、他国の軍隊のために国が作る軍事基地をその地に作ってもいいと合意しました。この合意は“ブヒ字形滑走路案”と呼ばれました。この合意を元に国同士も合意をしました。

それからしばらくして、ブヒ氏は、「私が合意したのは、あくまでも飛行ルートが陸域を避けることの確認」であって、滑走路の位置や長さではないと言い張りました。“ブヒ字形滑走路案”には、滑走路の概ねの位置や長さなどが含まれていたので、二つの国は大いに困ってしまいました。

しかし、ブヒ氏が言っていることをひっくり返すのはこれが最初ではありませんでした。
実はブヒ氏は、その地の人々に「沿岸案反対」を約束して市長さんになったのですが、その“沿岸案”とまるで同じ場所で滑走路を二本に増やして大きくした“ブヒ字形滑走路案”で国と合意したのでした。

ブヒ氏は、とても強気でブヒブヒっと喋ったり、どんな質問をされてもブヒブヒっと書かれた文章を棒読みするだけだったり、ブヒ~っと反対者を睨みつける特技がある人で、みんなが呆れたり笑ったりしている間に、いろんな悪いことを進めていく人なのでした。

200701181301_1ブヒ氏の国に対する言い分は、自分の言い分“修正ブヒ字案”こそが「危険性や航空機騒音の軽減を図る観点から至極当然であり、地元からの要望でもある」というものでした。
それに対して、国のお役人は「演習場などがある山に跳ね返ったりする航空機騒音を考えると、ブヒ氏の言っている位置“修正ブヒ字案”では地元の人々にとって騒音が酷くなるかもしれないし、また、海の浅瀬にある貴重な海草藻場をたくさん無くすことになる」と言うのでした。

そんな言い分を聴けるほどの知性もなく、取り巻き連中の利益最大化しか見えない聴くほど軟弱でもないブヒ氏は「地元からの要望」と大声を出しますが、地元と呼ばれた久辺三区ではそのような「要望」をみんなで話し合い決めたりしたことはありませんでしたし、逆にみんなで話し合い決めたことは「ここに基地を造ってくれるな」というものでした。
それでもブヒ氏は、ただただ大声で、時々ドモリながら「地元からの要望~!」と叫ぶだけでした。

ブヒ氏が市長になった小さな田舎町には議会もありました。議会もまた、「地元からの強い要望」や「地元の意向」などを理由にブヒ氏を援護する意見を 多数決で決めました。議会はその地の人々の代表が集まっているのですが、代表者たちがそう決めても、やっぱり、地元ではそのような「強い要望」や「意向」 をみんなで話し合い決めたりしたことはありませんでしたし、逆にみんなで話し合い決めたことは「ここに基地を造ってくれるな」というものでした。

軍隊をここに置く他国の偉い人(名前はシーファー駐日米大使というらしい)は、「一生懸命両者が交渉して成立した。この合意をまた変えたいと言うなら、われわれは戸惑ってしまう」とお話していました。

自分勝手な言い分をブヒブヒっとしゃべるブヒ氏は、二つの国にとっては一人の人が何でも決める“北朝鮮”以上に恐ろしい交渉相手だったかもしれません。核を保有していないでこの強気だから、ブヒ氏の強気度の方が上だっただろうとの歴史家の見方もあるほどです。

しかし、「地元からの要望」というブヒ氏の主張の根拠がどこにあるのかは、誰も探すことができず、探すこともしませんでした。とても悲しいことです が、そんなことはもうどうでもいいことだったの知れません。それぐらいには、“民主主義”が壊れていることは自明のことだったのかも知れません。

Saru でも、二つの国の偉い人も国民も、その小さな田舎町にその軍事基地を造る事以外に選択肢を与えなかったのですから“民主主義”が立派に機能していると自慢できることは何一つありませんでした。

(つづく)

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