宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

公正と公約

政治権力の源泉は民衆にある。

あまりにもあたりまえすぎて、面白くもなんともない自明のことだろうか。
憲法では主権在民が規定され、「公正」な選挙で選ばれた代表が、その権限を行使することが規定されている。

沖縄では、投票日の投票ではなく、期日前投票での得票で当選者が決まる事態が生じている。
これは「公正」な選挙だったのか、疑問を持たざる得ない。

少なくとも組織的な取り組みで「期日前投票」が行なわれていることは、政策を浸透させる選挙運動ではなく投票を動員する選挙運動である。そのことを良とすることは、選挙が政策ではなく組織間の動員力等で決することになることを是認することである。

とすると、先のテーゼは言い換えられなければならない

政治権力の源泉は多数派を占める組織力にある。

私たちの社会は、諸「組織」の集合体でしかなく、自由な個人を単位とする「市民社会」ではないのでしょうか。
選挙のリアリズムが、公明党をして自民党とくっつけ、自民党をして公明党と離れきれない、という現実を作り出しています。
有効性を失しているとしか思えない、「保革」というものさしでしか選挙を語れないイデオローグも同類です。市民社会は革新の専制ではないのですから。

「公正」であるべき選挙で、動員選挙がまかり通る。
このような社会は、「市民社会」とは呼べないでしょう。
私たちのこの社会をなんと名付けるべきなのでしょうか。

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政治権力の行使は、選挙における「公約」を通して「正当性」を持つ。

これもあたりまえすぎて、面白くもなんともない自明のことだろうか。
沖縄では、このことが大きく揺らぎだしている。

(左側の画像は、それぞれの公約抜粋です)

Nagokouyaku 名護市長は「沿岸案」反対を公約にして、沿岸案とまるで同じ場所に規模を拡大して「Ⅴ字形案」で政府と合意してしまいました。
「概ねバリエーションの範囲内」と言っていますが、選挙公約には「バリエーション」など一言もありません。

Nakaima 沖縄県知事は「Ⅴ字形案」は認められないと公約しましたが、当選後ただちに、「Ⅴ字形案」を合意した名護市や北部と足並みをそろえて、建設実現のために行動しています。

このような事態に対して、現職の国会議員・下地氏はこんなことを言っています。

公約を守らない政治家を嘘つきと呼ぶ前に、提唱している公約を実現出来ないことが明確にわかっていながら投票する、有権者の責任も問われるべきであります。

と ても厳しい指摘ですが、私も、その通りだと思います。しかし、政治家と有権者の責任を云々する前に(慙愧のごとく残念ながら、とても支持率の高い一国の首 相が「こんな公約守れなかったからといって、なんてことはない!」と言ってのけこともありました)、起こっていることの意味を考えるべきです。
「公約」の重みが、これほどまでに軽くなることは、何を意味しているのでしょうか。

政治権力の行使は、民衆との「公約」に縛られることはない。
  ↓
政治権力の源泉は、民衆にはない。
  ↓
政治権力の源泉は、…

基地建設問題という重圧が、10年の長きにわたって圧し掛かり続けている沖縄で、結果的に何が起こっているのか。私たちは、真剣に考えなければならない。

3回も選挙を行なって、県内移設を県民は是認したのだから、そうすべきであるという議論もあるでしょう。しかし、県内移設を是認する実現可能な「公 約」をたてて、公的領域でまともに議論することをしないで、結果的に権力を掌握したのが現実です。このような政治権力は正当性を欠き、結局は混乱を招き寄 せるだけです。

この世の中には、多様な意見、立場、利害があります。それを調停して、妥当性を引き出すのが政治でなければなんなのでしょうか。公的領域において、不毛なイデオロギー対立を極力排して、妥当性を引き出してくる「政治」を私たちは欲していないだろうか。

2006年に行なわれた選挙の結果は、それぞれの勝敗以上に、沖縄の大きな課題を浮上させている。私にはそんな風に思えてならない。

さて、どう生きていくか。