みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

全国のそして全世界の友人へ贈る(その2)

普天間代替」という名の新基地建設を、「沖縄」の問題だと思い込んでいる人々が大勢いるような気がする。これは日本国の沖縄差別としか言いようがない実態・現実の問題である。
事実だけ指摘しておきたい。

-

[E:one]沖縄戦

1944年3月、アジア・太平洋戦争の最終段階で大日本帝国大本営直轄の沖縄守備隊(第三二軍)が創設される。沖縄は戦局の深刻化に伴い「国体護持」のための“捨て石”の役割を担わされることになる。

1945年3月、米軍上陸で沖縄戦始まる。米軍により日本本土への出撃拠点として、日本軍から接収した飛行場以外にも飛行場が複数建設される。「普天間飛行場」はそのひとつである。

1945年8月大日本帝国ポツダム宣言を受諾する。

-

[E:two]占領下から日本国独立へ、沖縄は米軍占領続く

1947年9月、占領軍総司令官マッカーサーに対して「琉球諸島の将来に関する日本国天皇の意見」(天皇メッセージ)が発せられる。このメッセージが現在も続く日米安全保障条約体制の橋頭堡になると専門家は指摘する。

1951年9月8日アメリカ合衆国をはじめ連合国諸国と「日本国との平和条約」(Treaty of Peace with Japan/サンフランシスコ講和条約とも呼ばれる)が締結される。

1952年4月28日、「日本国との平和条約」が発効・公布される。これにより日本国は独立国家としての主権を回復し、連合国との戦争状態が国際法上でも終結する。

サンフランシスコ講和条約第三条により「南西諸島や小笠原諸島を合衆国の信託統治に置くことの承認」が位置づけられ、沖縄は「天皇メッセージ」の通り米軍統治下になった。

====================================
1952年サンフランシスコ講和条約を締結した当時、日本本土には12万9000ヘクタールの米軍基地があったが、1960年までに3万ヘクタールに激減した。

米軍の施政権下である沖縄では、「銃剣とブルドーザー」で住民の土地を奪うなどして基地拡張が進む。同時に日本本土に駐屯していた米軍の移駐が進行する。

富士山麓に駐屯していた海兵隊砲兵部隊をはじめ、米軍立川基地(東京)や芦屋基地(福岡)、板付基地(同)、キャンプ朝霞(埼玉)の米軍部隊が次々と沖縄に移った。

1960年代には、ベトナム戦争の激化の過程で、米本国からも沖縄への部隊移駐が続く。
1971年には、海兵遠征軍司令部がベトナムから移駐する。
====================================

-

[E:three]沖縄の施政権返還から今日まで

1972年の沖縄の施政権返還以降は、在沖米陸軍の削減が進み、1978年に沖縄基地の管理権が陸軍から海兵隊に移管。

一方、日本本土では、1971年以降関東平野合衆国空軍施設整理統合計画」(KPCP/通称・関東計画)で、同期間に58%の返還が進んだが、沖縄では兵力の減少率25%、基地面積15%の減少に留まる。

このような変遷をたどり、1972年の施政権返還(復帰)時には、在日米軍基地の59%であった在沖米軍基地は、75%強もの過重負担となっていった。(画像は一坪反戦地主会関東ブロック作成資料)

Usbase

-

[E:eyeglass]沖縄が復帰に何を望んだか、復帰とはなんだったのか

沖縄が施政権返還(復帰)に何を望んだかは、「幻の建議書」と呼ばれる「復帰措置に関する建議書」に刻まれている。

1971年11月、「復帰措置に関する建議書」を抱えて上京した屋良主席の到着を待つことなく、沖縄返還協定は衆院特別委員会で強行採決された。
その中の一説を、引用しておく。

-

沖縄に存する米軍基地は、米軍が占領軍としての権力と、絶対的、排他的な《施政権》によって、民主主義の原理に違反して、県民の意思を抑圧ないし無視して構築、形成されてきたものであります。そして、その基地の存在が県民の人権を侵害し、生活を圧迫し、平和を脅かし、経済の発展を阻害していることは、さきにも指摘した通りであります。
平和を希求している沖縄県民は、軍事基地に反対し、その撤去を求めているのであります。

「復帰措置に関する建議書」二、基本的要求より

-

[E:flair]在日米軍基地の変遷と沖縄の現在

これまで駆け足で見てきたことを整理すると、次のようになる。

1945年大日本帝国は沖縄を本土防衛・国体護持のための捨て石にし、米軍は本土進攻のために住民から土地を取り上げ基地を造る。

[E:downwardright]

1952年、沖縄を切り離し主権を回復した日本国は、自国内にある米軍基地を沖縄に移転させることで縮小し、沖縄は米軍により「銃剣とブルドーザー」で基地拡張される。

[E:downwardleft]

1970年代以降、日本本土は「関東計画」でさらなる在日米軍基地縮小を図り、結果、沖縄を在日米軍基地が75%も集中する「米軍基地の島」とした。(詳述しないが、民間人や市町村の土地を取り上げ造った在沖米軍基地を維持するために、施政権返還後、日本国政府/国会は「駐留軍用地特措法」をつくり、二度も改悪し、個人・法人の財産権を侵害し続けている。実質的に沖縄にのみ適用される憲法違反の疑いが濃い特別法である。)

-

[E:annoy]結び~ひらく

1972年の施政権返還(復帰)で沖縄の期待と希望を裏切り、2009年政権交代でも沖縄を裏切り米軍基地の「県内移設」をするというのが、いかに重大な沖縄に対する陵辱であることか。

地政学」も、「憲法9条」「改正」云々も、日本国のマジョリティがする沖縄に米軍基地を押し込めようとする必死な言葉遣いには、性根のところで腐った沖縄への差別意識がある。私も偉そうなことはいわない。沖縄の無学な貧困階級のおっさんだ。言葉遣いは汚いが、最後に一言だけ言わせてもらう。

-

「踏んでる足をどけろと言ってるんだ、殺されても替わりの足は踏ませない。」

-

以上、ここは、一歩も退かない。

参考:

天皇メッセージについて』(なごなぐ雑記)
http://miyagi.no-blog.jp/nago/2008/06/post_56ba.html

防衛施設庁史』第四節関東平野合衆国空軍施設整理統合計画(KPCP)への取組の開始(防衛省)PDFファイル
http://www.mod.go.jp/j/info/choushi/choushi_pdf/01_03_04.pdf

特集・県民投票-沖縄の基地負担と協定の問題点/基地整理・縮小(沖縄タイムス1996年9月3日朝刊)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/tou960903_3.html

在日米軍基地(専用施設)面積の変遷(「沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック」作製)
http://www.jca.apc.org/HHK/Heliport/99/USbase.html

その他

[E:end]