みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

名護市への新基地建設に係る動向

Mage みなさんお正月はどのようにお過ごしですか。
私は明日から仕事に精を出さなければならないので、本日は正月休み最後ということで家族(相方+月齢9ヶ月の息子+ミニチュアダックスのゴン&私)で動物園に行ってまいりました。学生時代に鹿研究に没頭していたらしい相方がいちばん興奮していた。ちなみに相方の大学時代の研究対象は馬毛島の馬毛鹿で、悪名高い米軍艦載機の夜間離着艦訓練をするNLPの施設建設の話がくすぶっており、相方は馬毛鹿をオルグって住民投票をすると意気込んでいます:)
動物園の話は、またの機会に譲るとして、それにしても途中の道すがらでみた「普天間宮」の参拝客の混み具合は我が目を疑いました。東京あたりで美味いラーメン屋で並んでいる人たちに私は何の違和感も無いけど、「ウチナンチュは並ばないよな」と勝手に思い込んでいて、私もいつもスルーしていたけど、認識を変えなければならない。並ばないのはウチナンチュではなく、名護・ヤンバルの私たちヤンバラーかもしれないし、もしかしたらそうでもなく、私という個体の持っている属性かもしれない。いずれにしても、●●人や●●県の県民性などという概念が崩れ去る体験をいたしました。知らず知らずのうちに持っている固定観念や、だれかの都合で刷り込まれた考え方は疑ってかからないといけないですね。

本日《続き》に書くのは、大晦日に出た名護市への新基地建設に係る新聞報道を二つと、それに関するちょっとしたコメント。

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もうじき落ちる予定ですが、現在は政治部門:2位、
ニュース・一般部門:1位、人間・哲学部門:1位のはずです。

■沖合移動で政府側が譲歩、名護市はまな板の上の鯉

名護市は、06年に島袋吉和が市長になって以来、政府に対して自治体として譲れない一線を持っていない。基地問題に翻弄され殺されたような故人である前名護市長・岸本建男氏は、軍民共用空港を受け入れるときに、市民に約束した撤回もありうる7つの条件という原則を持っていた。

7つの条件の中身と実現可能性をここでは問題にしない。問題にすべきは、受け入れ撤回もありうるという「原則」であり、それを市民に約束したことである。

島袋市長には、そのような「原則」はなく、市民へのまともな説明もなく、政府と誠意を持って協議し造ることだけを合意している。どのようなものを造らせるのか(どのようなものなら造らせないのか)という「原則」を持たずに、どのように協議ができるのか。有権者へ政治家として誠意をもって説明することもせず、なにゆえに政府には誠意をもって臨めるのか。徹頭徹尾、この人の言行には理念がない。あるのは基地を造るという、政治的役割だけだ。

名護市長の要求している「滑走路沖合移動」は騒音軽減のためなどといっているが、その根拠も薄弱で、まともに言葉にもできていやしない。受け入れ先にありきでの余技であり、住民生活を守るためなどというポーズを信じている人はいない。

しかし、そのポーズを政府側が受け入れ、行政的にはドラスティックに進めていく回路が開かれつつある。

普天間代替施設、政府案より沖へ90m…政府が譲歩方針(読売新聞07.12.31)

 政府は、沖縄県キャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)に建設予定の米海兵隊普天間飛行場宜野湾市)の代替施設を、2006年に日米両政府が合意した案より90メートル程度、沖合に移動する修正を行う方針を固めた。

 沖縄県名護市も受け入れに前向きな姿勢を見せている。これにより、1996年の返還合意から12年近く停滞している普天間移設問題が動き出す可能性が出てきた。

 普天間移設問題では、旧防衛庁名護市が06年4月、シュワブ沿岸部にV字形滑走路を建設することで基本合意した。名護市はその後、300メートル以上、沖合に移動する試案を提示し、沖縄県も同調したが、政府が難色を示し、平行線をたどったまま環境影響評価の手続きが進んでいる。政府は09年8月には周辺海域の埋め立てを県に申請し、14年に代替施設を完成させる計画だ。

 県や名護市が沖合移動を求めるのは、騒音や事故の際の危険性を低減するためだ。政府は米側との再調整が必要になることなどで否定的だったが、周辺海域の埋め立てには知事の承認が不可欠であるため、町村官房長官らが主導して県側に譲歩すべきだと判断した。

 沖縄県の環境影響評価条例の施行規則では、大幅な計画の変更は手続きのやり直しが必要だ。移動距離が約55メートル以内ならやり直す必要はないが、県や名護市はさらに大幅な移動を主張している。政府は県側の要求にできるだけこたえるため、代替施設の当初位置から約90メートル沖合にある「長島」ぎりぎりまで移動する案を軸に検討する構えだ。

 米側との調整について、政府は「90メートル程度の移動なら運用上の問題も生じず、協力を得られる」と見ている。ただ、名護市が求める滑走路の短縮については、米側の反発が予想されるため、政府は使用協定を結んで騒音の大きい訓練を制限することなどで市に理解を得る考えだ。

 こうした政府の方針に対し、沖縄県仲井真弘多知事は読売新聞の取材に、「名護市の意向を尊重して考えたい。移動距離は、政府といったん合意できれば、その後に要求を上積みするつもりはない」と語った。名護市も「100メートル近く移動できれば地元に説明できる。滑走路の長さの問題も、使用協定を結んで使い方を限定すればクリアできる」(幹部)としている。

 政府は環境影響評価の方法書に対する知事の意見を1月21日までに聞き、そのうえで調査を始める。知事の意見表明後の1月下旬に沖縄県や関係市町村とつくる普天間移設協議会を開き、調査開始への理解を得る方針だ。こうした動きと並行して県や市と政府案の修正を非公式に検討し、3月にも協議会の議題にしたい考えだ。ただ、県内移設に反対する革新陣営や市民団体の反発が予想され、流動的な要素も残っている。
(2008年1月1日3時2分  読売新聞)

名護市には、滑走路の沖合移動以外に、もうひとつ市議会や様々な場で豪語してきた「滑走路の長さはSACO合意(1300メートル)しか認めない」というものがある。…もうすでに、「あった」といったほうが適切かもしれないが…それは「使用協定」を結べばクリアできる問題ではない。日米合同委員会の合意である厚木や嘉手納や普天間の騒音軽減措置ですらが穴だらけでなおかつ遵守されていない現状で、なにゆえに海の側で市街地から可能な限り外れて過疎地に造った基地で、不自由な使用の在り方をしてくれると思えるのか、現実主義者を自認する基地容認派はこのレベルでは全然現実をみていない。

■SACO合意と米軍再編の違いもわからない●●な市長

名護市の豪語してきたことには意味がある。名護市の基地建設受け入れは比嘉鉄也元市長が表明して辞任していったことに端を発する。それを岸本建男前市長がいったん凍結したが、県知事が大田昌秀氏から稲嶺恵一氏に変わる中で条件付で受け入れていった。これまでの市長が受け入れてきたのはSACO合意であり、米軍再編に係る今回の基地建設は規模も拡大し別の案件であるといっても過言ではないレベルである。

それらの狭間を埋めるために、事務方は懸命に、SACO合意を主張しているのである。島袋吉和市長は、そのことを意識できる理解力も無いまま、「陸域を飛ばない」などと図面を示され喜んで二本の滑走路案を受け入れてしまった。名護市の事務方は苦労が耐えない。しかし、もともと市長は島袋吉和である。メッキは剥がれるべくして剥がれる。

普天間移設:名護市、滑走路長さ容認へ 沖合案は譲らず(毎日新聞07.12.31)

 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題で、移設先の同県名護市が、V字形2本の滑走路を備えた政府案の滑走路の長さ(各1600メートル、オーバーラン含め計1800メートル)を容認する方向で検討していることが分かった。県の打診に、短縮を主張していた名護市が前向きな姿勢を示した。移設場所は県、市とも引き続き可能な限り沖合に移すよう政府に求める。これにより建設計画については沖縄側が政府に一歩譲歩する形となる。

 関係者によると、市は、ともに政府と移設協議を重ねる沖縄県と意見調整する中で、県幹部が「滑走路の長さは日米合意の基本。沖合移動に加えて長さの変更を求めることは、日米合意を根本から否定することになり、実現は難しい」との見方を示し、島袋吉和市長がこれに同意した。ただ、市内部には依然短縮を求める声もある。96年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告の1300メートルより長くなった理由の説明は今後も政府に求めていく。

 普天間飛行場は、SACO最終報告で代替海上施設の建設が決定。その後、国、県、名護市の協議で、同市辺野古沖に「軍民共用」で「15年の使用期限」などの条件付きで移設が決まった。

 ところが、地元の反対運動などで計画は遅れ、05年10月の米軍再編中間報告で、名護市キャンプ・シュワブ沿岸部に1800メートルの滑走路1本を備えた代替施設建設が決まった。これに対し、市は飛行ルート下に集落があるとして反発。06年4月、滑走路をV字形2本にする修正案で政府と基本合意をした。基本合意書に滑走路の長さは明記されなかったが、防衛省は修正前と同様の1800メートルと主張。一方、名護市は「SACO合意と同じ軍専用なのに、なぜ滑走路が長くなるのか」と滑走路の短縮と沖合移動を求めていた。

 県と市は沖合移動を求めているが、移設に先立つ環境影響評価(アセスメント)の手続きは政府案を前提に進んでいる。防衛省が出したアセス方法書に対し、仲井真弘多知事が「内容が不十分」として36項目233件について詳細を明らかにするよう求めている。防衛省は1月中に回答する方針。【三森輝久】

この問題に関して行政ができることは、首長が首長だけに、政府が政府なだけに、限界どころか最初から出口は見えている。保革をことさらに言い募り、島袋吉和市長誕生に力を尽くした方々には大いに反省してもらわなければならないが、そんなことはもうどうでもいい。とにかく、この状況から先に進むための一歩をどのように踏み出すのか、「地方自治の本旨」に基づく名護市の在り方が大いに問われている。有権者が許すなら、それはそれまでのこと。しかし、新基地建設の利害関係人は名護市民だけではすまない。問題の裾野は大きく広い。ことは単純にすまないことだけははっきりしている。

■振興漬けでなにかが狂っている

案外、基地建設という本質的な問題ではないところで、名護市という地方公共団体の政治は大きく変わるかもしれない。

情報漏れか偶然か/名護市発注工事 ピタリ入札(沖縄タイムス07.12.30)

 名護市発注の公共工事の入札で、事前に公表されない最低制限価格(最低価格)と一円単位まで一致する金額で多数の事業が落札されたことが明らかになった。市議らは「建設業者側への情報漏れや、業者間の談合があるのではないか」と追及。市議会も調査に乗り出した。一方、市は関与を否定し、業者側も「過去の傾向から割り出した」と説明している。市の情報漏れや談合はあったのか、それとも「偶然の一致」なのか。見解は対立したままだ。(社会部・鈴木実、北部支社・石川亮太)

 名護市は工事発注に当たり、資材の単価や数量、難易度などの要素を数量化し、非公表の「設計価格」を設定。ダンピング防止などのため、65―85%を最低価格とし、それを下回った入札は無効とする。この最低価格は、市長や副市長ら決裁権のある市幹部が最終的に決め、封をして保管される。

 設計価格は、例えば「539487円」などと切りの悪い数字になるため、「入札予定価格」は端数を切り捨てたり、総額を数%圧縮する。事前に公表されるのはこの数字だけだ。

 業者が事前に最低価格を割り出すためには、「(非公表の設計価格)×(非公表の掛け率)」を積算する形となり、「ぴたり」特定の可能性は極めて低い。

 自治体によっては、最低価格を分からなくしようと、「81・34%」など掛け率を小数点以下まで細かく書き入れるケースもあるという。

■予定価格と関連も

 名護市は設計価格や掛け率を非公表にしているものの、最低価格が把握されるのを防ぐこうした工夫が徹底されていないとの指摘もある。

 例えば、市教育委員会発注の二〇〇七年度校舎建築事業では、三つの事業の最低価格を予定価格のちょうど85%に設定、ほかにも85%台が五つあった。設計価格や掛け率が分からなくても、「予定価格の85%=最低価格」の単純な予想が成り立つ仕組みだ。

 市内の建設会社社長は「事業によっては予定価格と最低価格に関連性があり、見破るのは簡単。落札額と一致しても不思議ではない」と話し、当局からの情報漏れは否定する。最低価格との「ぴたり入札」の中には、当局の傾向を業者側に見透かされた事例も含まれるとみられ、市内部からも「なぜ、こんな分かりやすい価格なのか」との批判もある。

■特定事業で何度も

 ただ、こうした構図では説明しきれない入札結果も多い。

 特定の事業で何度も「ぴたり入札」が重なったり、予定価格との関連性が見られない分野でも金額が一致するケースがあるからだ。加えて、報道機関などに事前に流れた談合情報通りに落札する事例もあり、「市当局からの情報漏えいや談合があるのではないか」とのうわさはなくならない。

 末松文信副市長は「最低価格は封印されており、封をした人でない限り分からない」と強調、情報漏れを否定している。

 一方、市外の設計士は「これだけ多くの事業で一致率が高いことは偶然ではあり得ない」と話す。野党市議らは「最低価格付近で落札すれば見掛け上は落札率も下がり、談合との批判が避けられる。公共工事はもともと予定価格が高めに設定されており、最低価格でも利益は出せる。市と業者の間で何らかの不正があるのではないか」と疑問を投げ掛ける。

■闇の暗さそのものを発光させる

名護市への新基地建設の問題は、しばらく事業者の政府と反対する市民の現場での衝突という次元とは違うレベルの政治が闘われていくことになるのだろうか。

でたらめ極まりない環境アセスの問題も大いにあるが、アセス法に位置付けられた手続き論では、「準備書」までは公には進行が見えにくくなる。

行政的には、いままで政府と沖縄の対立図式を仮構してきた沖合移動の話が解決すれば、大きな障壁は無くなる。障壁がなくなってはっきりと見えてくるのは、名護市が何を受け入れているのかという問題である。

戦闘機が少し市街地上空を飛んだくらいで大騒ぎするような牧歌的な市議会動向なども、さすがに自分達がどこへ進んでいるのかをしっかりとみなければならなくなるだろう。いわんや住民のみなさんも。

市民投票という住民自治のコアな部分を経てきた名護市の、真骨頂が発揮されるように、私は心の底から願っている。そして私も、そのためにアンテナを高く張り巡らしながら、足元を深く深く掘り下げていきたい。そこを塹壕にしながら、闘っていく。

最後は、一年の抱負みたいになりましたが(笑)、本日はここまで。

今年も一年よろしくおねがいいたします。