みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

リンク論

高市早苗内閣府沖縄北方対策担当大臣が来沖していたらしい。
今朝の新聞紙上では

移設と振興策リンク 高市沖縄相が名言 (沖縄タイムス)とか 

沖縄相、リンク論明言 普天間移設と北部振興策 琉球新報)などの見出しが躍っている。

わたしは迷惑施設(基地)受け入れに伴う振興策が、リンクすることをさほど問題視する気はない。出来高払いうんぬんだって、金を出し施設を造る側とそれを受け入れる側の、契約関係としてはなんら不思議ではないと思っている。

しかし、この十年の経緯、「北部振興策」の出自を振り返れば、行政府があからさまなリンク論を振りかざすのは、はなはだ不適切だと考えている。犯罪的でさえある。

あぁ、もうこの流れはどうしようもないのだろうか。沖縄は「植民地」でしかない。

下記は書きかけの仕事の中の北部振興に言及している部分。

一九九九年の閣議決定普天間飛行場の移設に係る政府方針」では、〈Ⅰ普天間飛行場代替施設について〉と〈Ⅱ地域の振興について〉が並列になっている。

Ⅰで、「軍民共用」や「使用協定の締結」「使用期限問題」など沖縄側からの要望を位置づけ、Ⅱで、「移設先及び周辺地域の振興」と「北部地域の振興」「跡地利用の促進円滑化」が位置付けられている。

移設先及び周辺地域の振興は明らかに基地建設に伴うものであるが、「北部地域の振興については、沖縄政策協議会の了解を踏まえ」たものであり、基地建設と直接的に結びつくものではない。

それらを根拠にわたしも、亡くなった岸本前名護市長も、北部振興と基地建設はリンクしていないと認識していた。

今年五月の閣議決定で、九九年の閣議決定が廃止されたことで、北部振興まで消え去ることになり、北部の首長たちはあわてて協議や要請(六月十二日・内閣官房長官及び防衛庁長官)を始めている。

そ もそもこの北部振興は、一九九七年十一月にコンベンションセンターで行なわれた復帰二十五周年記念事業の式辞で橋本首相がその重要性について言及し、国土 総合開発法に基づく第五次全国総合開発計画(一九九八年三月三十一日閣議決定)で「特に北部圏については、沖縄本島の一体的な発展を図る上でその果たす役 割は大きく、地域特性を生かしつつ今後とも振興に向けて着実な取組を進める」と明記されている。新基地建設問題と結びつけ、雲散霧消していい性質のもので はない。

九九年の閣議決定には、沖縄政策協議会の了解を踏まえとあったが、
沖縄政策協議会とは閣議決定(一九九六年九月一七日) で設置された、沖縄県知事と全閣僚が出席し沖縄特別振興特別調整費など「沖縄に関する基本施策について協議」する協議会である。そこでの了解事項が、基地 建設問題でリセットされていくことが是認されるということは、「沖縄に関する基本施策」における振興は、米軍基地の維持や新設と密接不可分でしかないとい う「現実」を追認していくことでしかない。

基地と振興策のリンクは自明のことだと評論する識者もいるが、迷惑施設の受け入れに伴う振興策 ではなく、行政行為として基本施策の中で位置付けられた振興策が、簡単に廃止される現実をわたしは是認できない。これを是認することは、沖縄に対する振興 策をすべてそのように位置付けることに道を開くことになる。

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今日は、画像を貼り付ける気力もない。

「振興策がちっとも振興に寄与していない」などの批判的言葉に意味はなくない。わたしもそのように思う。それは失策なのであって、改めるべきは改めればいい。そのような「振興策」に頼らない、地域づくり、経済政策をつくりだせばいい。

しかし、迷惑施設の受け入れとは別の論理立てで出てきた「振興策」を、施設の建設が進まないから焦って「実はリンクしていますよ」などとする政府の強弁を唯々諾々と受け入れていくことは、沖縄はそのようにされてもかまわない位置で、政府からのお金をねだる、せびる、言葉ははなはだきついかもしれないが、乞食だと自ら宣言するようなものだ。

少し仕事の方向性を根本的に見直さなければならない。根源に至る裂け目
を探そう。