宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

名護市長選2018についてメモ

名護市長選挙の結果を記録しておく。

当日有権者総数49,372人

投票率は76.92%(期日前投票が21,660人で、有権者総数の44%)

【当選】渡具知武豊(自民公明維新推薦)20,389票

    稲嶺進(社民社大共産民進推薦立民支持)10,6931票

以下はランダムな私のメモ

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2月2日 22:43

昨年10月の衆院比例の名護市の結果。

自民 5829
公明 5789
維新 1122
幸福 308
社民 3104
共産 2623
立民 4254
希望 3310

明らかに現政権および政権寄りの政党である自民公明維新幸福の計で13048。国政野党であるというだけで立民と希望をも加えた計で13291。立民と希望支持者の投票行動が不確定要素が大きいので、両陣営の基礎票および期待できる票を合わせて、ほぼ互角と言っていい状況で市長選は始まったのだと思う。
問題は、18歳選挙権の開始であり、その若年層へのアプローチ。および支持政党なし層の動向。
名護・沖縄的な特殊事情でいうと、平和志向が強く新基地建設に根強い反対意思を持つ公明支持の学会の人々の動向。
おそらく両陣営ともそのような所与の前提を整理した上で選挙戦略を練り方針を立て運動を続けてきた。
だが、それは陣営の問題であり、有権者の意思はまた別の問題である。私は、武豊陣営のデマ攻撃と争点隠し(ごまかし)と徹底対話拒否はやりすぎだったと思う。そのことをしっかりと判断する懸命な有権者は少なくないと信じたい。最後まで市民を信じ、働きかけ続けた陣営が勝つ。 稲嶺進さん先頭に立って、最後の土曜日、市民を信じ、市民に協力をお願いして、あなたがお願いしたら、心動き気づく市民は大勢いる。名護を守ろう。ほんとうに結果いかんでは天と地の差ほどある分水嶺だここは。

2月3日 1:52

98年以来、名護市長選挙は毎回しんどいけど、様々な情勢の中で踏ん張り方があったし、戦い方があった。岸本建男市長が亡くなったあとの2010年の選挙で稲嶺進さんが当選したことで、私はずいぶんほっとして、2014年の選挙で新基地推進の末松さんを退けたことで、市民投票以来の混乱にきちんと決着がついたと思っていた。それは私が思っていただけで、条件付き賛成の皮を被った基地推進の保守系の方々は戦い続けていた。
今次市長選挙に突入する前の、比嘉鉄也元市長による「市民投票に民意はない」などの発言は、なにを潰そうとしているのか攻撃しているのかをはっきり示していた。タイムスの紙面で、私が名前と顔をさらして喋っているのに、相対する条件付き賛成派は匿名で顔がみえない不公正な記事になってるのも、それなりに彼らを後押しした。彼らは常に匿名でありながら、存在し続ける。
大方の市民の認識では、七つの条件を付して新基地を容認した岸本建男市長の条件は、市民投票の結果があるがゆえの、政府に対して示した高いハードルとしての条件だったはずだ。
比嘉鉄也さんの「市民投票に民意はない」はその認識を根底から破壊した。匿名の彼ら彼女らは、民主主義のステージを破壊し躍り出る準備をしていたのだ。
私はなんてとっぽいんだ。気づくのがおそすぎ。私たちがいま向き合っている相手は、市民投票時に正々堂々と市民の判断を仰ごうではないかと戦った相手ではない。デマをなんともおもわない、フェイクニュースオルタナティブファクトの流れの中で何かを学び得た勢力だ。
あぁ、最後の最後は、やはり市民を信じるしか、私には出口がみえない。ススムさんをはじめ、名護市では議員や市民やみんなが踏ん張っている。みんなのがんばりが奏功することを願っている。

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2月3日のメモで触れている比嘉鉄也オーラルのタイムス記事をタイピングしてあるのでここに置いておく。鉄也さんのお話には、大事なポイントがいくつもある。今回の選挙結果も含めて、考察するにあたいする。

 

沖縄タイムス2017年12月25日

 

新基地長期化「国の責任」

受け入れ表明20年 比嘉元名護市長に聞く

市民投票「民意がない」

 

20年前の1997年12月24日、米軍普天間飛行場辺野古移設受け入れを表明した比嘉鉄也元名護市長(90)が22日、沖縄タイムスのインタビューに応じた。表明の3日前に実施された移設への賛否を問う名護市民投票では、反対が約2300票上回ったが「両陣営とも支援者動員と多数派工作が横行した。本当の民意はそこになかった」とし、判断材料にしなかったとした。今日まで市民の溝が埋まらない移設問題の長期化を「20年も引っ張る話じゃない。こじれているのは内閣の責任」と答えた。(聞き手=北部報道部・城間陽介)

─市民投票の結果は予想していたか。

「予想はしていなかった。住民投票というのは始めてで、通常選挙みたいに違反取締りがないから、おおっぴらに飲食接待し、日本全土から支援者も動員して蜂の巣をつついたみたいに大騒ぎになった。どっちが優勢か分からず乱れに乱れた」

─投票結果とは何だったのか。

「市民の意思を示す投票というのは規制の中でやらないといけない。(市民投票には)本当の民意はそこになかったと思っている。それで信念に基づいて決断しようと思った」

公選法の規制に基づいて実施されていれば受け止めは変わったか。

「そう。変わっていたと思う」

─腹を固めたのはいつ。

「結果が出たのが(21日の)午後11時ごろかな。さてどうしたものかと一人ゆっくり静かに考えた。翌日大田昌秀知事に電話して相談しようと思ったら『忙しい、東京で総理に会う』と。それまでもずっと会ってくれなかった。それで私も東京へ行くことにした」

「上京当日の朝、家に助役の岸本(建男氏)、企画部長の末松(文信氏)、企業の仲泊(弘次氏)、収入役の島袋(利治氏)を集めて『名護をよろしく』と言った。一杯ずつ酒を飲ませてね。別れの杯を。知事からは移設の件で一義的には名護が考えるべきだとはっきり言われていたから

─知事に会えていたら判断に影響したか。

「政治家にもしもというのはない。知事が賛成反対どちらでも、やんばるは貧しいところ、北部振興を条件に引き受けますと言った。それでも私は知事の胸の内を聞きたかった。その頃は(知事は)予算をいっぱいもらって政府と蜜月という感じだったから」

─20年前から、そして今も市民の間には、埋めがたい溝がある。

「この問題は20年も引っ張る話じゃない。10年で終わると思った。こじれているのは内閣の責任だ」

─また20年前に戻っても同じ判断をするか。

「誠心誠意考え抜いて出した結論。思いは揺るがない

─現在の名護市は望んだ形になっているか。

「今の国との関係をみると望んだものとはいえない。しかし名桜大学、国立高専の整備とまがりなりにもうまくやっていると思う」

 了

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2月3日のメモで、その匿名性について触れた昨年12月21日のタイムス記事の画像をTwitterで拾ってあるのでそれも置いておく。

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