宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

東四間切市民通信2号A面

「東四間切(あがりゆまじり)市民の会」という小さな市民グループに参加している。東四間切というのは、私が現在住んでいる沖縄県南城市地域の昔の呼び方。東側の四つの間切(区域)の意である。南城市は12年前に佐敷・大里・知念・玉城の四つの町村が合併してできた。3期12年間、ひとりの人物が連続当選し市長を務めており4年前は無投票当選だった。年明け1月21日に市長選挙だが、「東四間切市民の会」は無投票になることだけは絶対避けて欲しいと思う市民有志が、選挙の大切さや、現市政の問題点などを市民に問いかけつつ、いいまちづくりを模索している。さしあたって市民通信を出そうということになって、1号は選挙を行うことの意義をマンガと文章でわかりやすく訴求した。2号は昨年、南城市で惹起した公立保育所全廃問題で、市民有志が署名を添えて公立保育所存続を求め市に提出した要望書に対しての、南城市長の行為を取り上げながら、「人権」の大切さを訴求することにした。B4版の両面刷りで、テキストが多すぎる紙面になったが、ここに紹介しておく。文は私で、漫画は同じ市民の会メンバーの田原幸浩(Doucatty)さん。

 東四間切市民通信2号【人権はつくりだすもの編】

南城市はみんなのために

南城市の主人公はわたしたち南城市民であって、市役所や国という行政はわたしたちが選んだ代表によって、わたしたち市民・国民の幸せのために仕事をする機関にすぎません。そのことをきちんときめてあるのが、日本国憲法です。わたしたちのくらしと南城市のまちづくりを考えるためにも、たいせつな日本国憲法をみてみます。

日本国憲法の三原則

日本国憲法には

1.国民主権
2.平和主義
3.基本的人権の尊重

の三つの基本的なきまり、日本国憲法の三原則があります。

市民通信第1号で市長選挙にふれましたが、18才以上の人に選挙権があり、選挙で選ばれた代表が市町村や県、国の政治をおこなったりするのは、「国民主権」の原則によるものです。

沖縄では「沖縄戦」と呼ばれる戦争がありました。日本国憲法では戦争で国内・国外のたくさんの人を死なせたり、苦しませたことの反省から「平和主義」の原則を持っています。

にんげんはだれでも生まれながらにして、にんげんらしく生きる権利=人権をもっている、それをたいせつにしようというのが「基本的人権の尊重」です。第二次世界大戦の反省から、世界のほとんどの国が加盟している国際連合では1948年に世界人権宣言を行いました。

人権はつくりだしていくもの

わたしたちが、いま「あたりまえ」だとおもっていることも、昔は少しもあたりまえではなかったことがたくさんあります。

刀を持った武士が一番えらかった昔は、ちょっとしたことで農民や商人は武士に殺されることもありました。そのような時代には人権という考え方はありませんでした。

少し前までは、男の人にだけ選挙権があり、女の人には選挙権はありませんでした。男の人と女の人には、にんげんとしてのおなじ権利がなかったのです。

人権は、だれかから与えられるものではなく、人びとの要求により生み出され、つくりだされてきたものなのです。

現在の日本国憲法のもとでは、人権を持った個人の尊重、自由および多様な価値観がみとめられています(日本国憲法第13条)。たとえば、南城市の政策についても、市民にはいろいろな考え方をもつことがゆるされていて、それぞれに声をあげることができます。それは憲法で保障されたたいせつなわたしたちの権利なのです。

市民が役所に意見をいうたいせつな仕組み

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選挙によって選ばれた代表が、役所がおこなう仕事のことを話し合ったり決めたりします。これは「国民主権」の原則から、役所の仕事を主権者の代表が動かすようにするためです。

では主権者は選挙という代表を選ぶときだけ、役所の仕事について考えればいいのでしょうか。南城市でいえば、市長さんや議員さんを選んでしまえば、あとはまかせてしまってなにも意見は言えないのでしょうか。

そうではありません。そのために法律では、市民が行政に意見やお願い(請願といいます)をする仕組みや、役所の仕事の問題点を調査させる仕組みがつくられています。この仕組みを使って市民が政治に参加することは、とてもたいせつな「国民主権」の原則のあらわれであり、みんながもつ「基本的人権」です。

日本国憲法第16条では、だれも、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けないとされています。

(B面へつづく)