宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

ある戦いの記録(1)

[シュワブ誘致説に関するメモ]

キャンプ・シュワブ辺野古区(久志村)が誘致してできた基地だというデマがある。おおもとは惠隆之介さんが『沖縄が中国になる日』(扶桑社/2013年)で紹介しているサンキ浄次元米陸軍中佐の手記『The birth of a Marine base.』である。

同書では出典であるその手記について詳しく記されてないので、手記の存在そのものが不明だったが、内容的に語られていることが記録されている歴史的経緯や事実とも合わず無理がありすぎて、『それってどうなの?沖縄の基地の話。』という小冊子で誘致説を検証した私と佐藤学さんはデマだと断じた。

急転直下

つい最近、私は沖縄タイムス紙上に「弁務官周辺の秘話 ジョージ・サンキ語学将校の証言」として、惠隆之介さんが前掲書で紹介している内容とまるでおなじことが報じられていたことを知る。

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それも1992年9月18日の紙面であり、そんなに遠い昔の話ではない。沖縄タイムス社は『これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地』(高文研/2017年)で「キャンプ・シュワブは地元が誘致した?」について検証しているのに、自社の紙面で誘致説が展開されていたことについて一切触れていない。うっかりなのか不誠実なのか。どうでもいいことなのか。…いずれにしても(訳・文責記者)になってるということは、訳されたもとがあるはずだ。

 

この記事がきっかけで琉球新報紙上にも同様の記事がないか調べたら、あった。

1996年2月21日6ページ社会面に「村発展で基地誘致 「北米養秀」サンキ氏追悼集を掲載 在沖海兵隊誕生の秘話」という見出しで、米ロサンゼルス在住の旧制一中と首里高の卒業生でつくる社団法人北米養秀同窓会の15周年記念誌発刊が報じられている。記事ではタイムスと同じく(ということは惠隆之介の著書で語られている内容と同じく)シュワブ誘致説が記されている。*1

 

92年タイムスと96年新報の二つの記事で、惠隆之介さんが『沖縄が中国になる日』で紹介している『The birth of a Marine base.』の存在を確信した私は、新報が紹介する「北米養秀」にそれは所収されているだろうと探すことになる。

(つづく)

*1:琉球新報夕刊1996年2月21日6頁社会面
村発展で基地誘致/「北米養秀」サンキ氏追悼集を掲載/在沖海兵隊誕生の秘話
 米ロサンゼルス在住の旧制一中と首里高の卒業生でつくる社団法人北米養秀同窓会(与儀祐定会長)の創立十五周年記念誌「北米養秀」が発刊され、このほど養秀同窓会(富川清会長、会員三万人)に届いた。
 「会員随筆集」「会報北米養秀だより」の三部構成で昨年九月に七十六歳で亡くなった元在沖縄米高等弁務官語学副官のサンキ浄次さん(旧名・山城清)の追悼集も盛り込まれている。その中にサンキさんの「海兵隊基地の誕生」という随想があり、経済の発展を目指し貧しい村に海兵隊基地を“誘致”したという秘話がある。
 英文で掲載された随想によると、一九五六年、本島北部の村長がサンキさんに村発展の方策について相談。「明らかに米軍に土地を提供したいということがわかった」サンキさんは、「米軍に来てもらったらどうか」と冗談交じりでアドバイス。翌日、村長が具体的な手続きをたずねてきたため、知事あての受け入れ要請文書の作成と提供地域の地図、村長と議員全員の商人の署名を提出するよう説明し、絶対に秘密にするよう忠告した。
 一週間後に、知事と将軍あての基地受け入れを承認する署名をした文書を持参、サンキさんが翻訳して民政官に提出。施設が十分だとする陸軍、海軍は断ったが、当時キャンプ・ハンセンだけだった海兵隊が受け入れた。サンキさんは「沖縄での軍用地取得はこれが初めてだったが、米軍が率先して取得したものではなかった」とまとめている。
 十九日、養秀同窓会副会長の田端国男さん、理事の外間正四郎さんが琉球新報社を訪れ、「北米養秀」を寄贈した。田端さんは「北米在住同窓生の戦争体験や戦前の思い出など、われわれも知らなかったエピソードもあり、北米での活動もよくわかる」と話していた。北米から三百部が届き、マスコミをはじめ県立図書館、那覇市立図書館など公共機関に寄贈する予定で、「その後、同窓生関係者にも配布したい」という。