みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

浜下り外伝(digest3/3)

演出の三由寛子は、劇団の舞台美術家・入江龍太とともに舞台全面に水を張った空間をつくり、『浜下り外伝』をイノーで繰り広げられる物語とした。

珊瑚礁で造られた礁池であるイノーは波高き外洋から島を守る天然の外壁であり、島人に海の幸を授ける空間であり、マジムンに侵された人々を浄化する空間である。

創生のカヌーの女は海保の男により外洋へと連行される。波は容赦なく彼ら彼女らを襲う。イノーにとり人の生き様や善悪など関係ない。

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『浜下り外伝』の舞台写真より;創生の女(奈須弘子)

イノーのみた物語

沖縄にのしかかる国家権力、国家の本性そのものともいえる暴力。「始原」はペリー来琉時を時として仮構しているが、薩摩藩士は明らかに琉球を支配する力であり、女は琉球王朝権力と薩摩の二重支配の中にある被支配民である。「永劫」の女は日本帝国の南進政策の中で南洋に渡る沖縄の両親から生まれ、沖縄戦時の集団自決(集団強制死)から生き残り非業の生を生きるものである。

「始原」の女は傷つけられた存在を癒すべくイノーを目指す。非業の生者である「永劫」の女は封印が壊れ迸る記憶の深淵からイノーの水に横たわることで死者たちと不可分の存在を掴む。「創生」の女はひとり浮かぶ海の上で、イノーの海に守られていることを覚る。

上演に立ち会ってくれた友人である劇作家の石原燃は観劇後「これはイノーのみた物語。母の『ジャッカ・ドフニ』と共通のテーマを感じる」と感想を語ってくれた。褒める褒められるとかではなく、そのような視点で考えきれていなかったので、ただただ感謝である。

イノーのみた物語。…『浜下り外伝』は安易な希望や絶望とは無縁である。人間のカタルシスなどイノーには無縁であるだろう程度に、この劇にカタルシスはない。あるのは「人にとどまる」という営為と、人の叫びと願いだけである。それらはすべてイノーの波の中に溶ける。


浜下りdigest3/3

浜下りの悦楽

舞台全面に水を張る演出は「ブレヒトの芝居小屋」だからできた上演だろう。同じような形での上演は他の空間では難しい。戯曲『浜下り外伝』にとっては貴重な上演であった。東京演劇アンサンブルのスタッフ・キャストに感謝している。俳優たちも果敢にしなやかにイノーの空間を生きた。彼ら彼女らの脳と肉体を通ることができた戯曲の言葉は幸いだった。ありがとう。

人にとどまり続けること、浜下りを続けることの悦楽はある。そのことが『浜下り外伝』には書き込まれていなかったか。時と機会が得られれば、読み直し、思考し直したい気もしている。だが、おそらく何度でも同じことをするだろう。人にとどまり続けるために。

三回に渡ってdigest動画を紹介した『浜下り外伝』についての報告を終える。

 

東京演劇アンサンブル ブレヒトカフェ Vol.5

2017年6月17日(土)14:00/19:00 6月18日(日)14:00

『浜下り外伝――そして目覚めると、わたしはこのイノーの海にいた。』

作=宮城康博 演出=三由寛子

舞踊=鷲田実土里 照明=真壁知恵子 舞台美術=入江龍太

出演

始原の女;町田聡子 始原の男;和田響き

永劫の女;志賀澤子 永劫の男;松下重人

創生の女;奈須弘子 創生の男;永濱渉