宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

二昔で流れ去らない歴史の尖端

十年一昔というが、1995年はもう二昔。歳月の流れ早いか遅いか。私にはなんともいえない。

1995年の少女暴行事件に端を発した沖縄の立ち上がりは、日米両政府に在沖米軍基地を整理縮小統合する日米特別行動委員会(SACO)を作らせてしまった。二昔もの歳月が流れてしまうと、SACOは沖縄の「負担軽減」ではなく沖縄の「負担永続」のためのスクラップ&ビルドであったことがはっきりとわかる。1997年の名護市民投票の際にも、オスプレイ配備、シュワブ陸上の演習場や辺野古弾薬庫との一体化による訓練の内容や頻度の激化、様々な事柄が市民の間に疑念としてあった。当時それらを質問しても、政府はまともに答えなかった。だが時とともに秘密は明らかになる。今となっては軍港機能をも有する要塞であることは隠せない。

SACOを作らせてしまったと書いたが、沖縄県民はマスメディアや支配的な論調の「負担軽減」に翻弄されながらも、移設に名を借りた基地新設を粘り強く反対し続けた。
1997年の名護市民投票の直後に、当時の名護市長は新基地受け入れを表明し辞任した。その後、1999年に名護市長・沖縄県知事は、普天間代替基地を使用期限や軍民共用などの条件付で受け入れる。それでも粘り強く民衆は反対し続けた。業を煮やした日米両政府は2006年に在日米軍再編協議で沖縄の受入条件を葬り新たな案(軍港機能を伴う埋め立てによる辺野古新基地建設)で合意した。

条件が反故にされた沖縄は反発した。爾来、自民党沖縄県連も「県外移設」を主張するようになる。しかし、自民党沖縄県連と沖縄県知事は選挙公約を翻し、とうとう一昨年(2013年)12月に埋め立てを承認し、その後、2014年の知事選で辺野古新基地建設に反対する候補者に大差を付けられ敗退。続く衆院選でも全選挙区で自民党議員は落選する。

1997年の名護市、2013年の沖縄県。いずれも、民衆が拒否する日本政府案を首長が受け入れ辞め(させられ)ている。

新しい県知事が前任者の埋め立て承認を取り消すと、国は代執行の手続きに入った。1996年の代理署名訴訟の後、1999年に地方自治法は改正され、現在では国と地方は対等の立場を原則とされている。そのことで代執行訴訟の司法判断がどうなるか注目されるところではあるが、司法がどのような結果を出そうと、日本国政府が基地建設の鉄槌を沖縄に撃ち続ける限り、闘争は続く。

沖縄は日本国の一地方自治体というには歴史的にも現在的にもあまりにも特異。近代国民国家を目指した日本帝国が最初に包摂した沖縄/琉球。次に植民地支配した台湾・朝鮮。南洋諸島の数々。すべてを敗戦で手放し生まれ変わった日本国は沖縄を再包摂し今日ある。何が変わり何が変わっていないのか。日本国が問われている。同時に「主権者」であるらしい我々自身も。

二昔で流れ去らない歴史の尖端にいる。

 

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「代執行」訴訟が始まることを念頭に依頼され書いたエッセイ、長くなったのでこれは破棄して、依頼字数に合わせた違うバージョンを送信した。送らなかったこれを、ここに置いておく。