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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

沖縄県と日本国の集中協議とやらが終わった。

沖縄県と日本国政府の「集中協議」とやらが昨日(9月7日)終わった。一ヶ月で数回懐疑した程度で、翁長県政は政府の方針を変えさせられるわけもなく、政府は政府で当初から方針変更など微塵も考えてない。双方歩み寄ることなく決裂し終わるべく終わった。

 協議は議事録も作成せず、終了後に参加者が記者会見するだけで、透明性も公平性も将来の市民や政治家、研究者による検証も担保されない今時信じられないブラックボックスだった。

もちろん批判は大きく渦巻くが、日本国内では「沖縄の」問題として矮小化されており、あまり問題視されないし、沖縄では翁長県政への期待や政治的判断が相まって問題として大きく認識されなかった。ほんとうに、その一点(会議の議事録を作成しない)だけでも、私は信頼に値しない行為だと思っている。

ともあれ、現実は動く。

今朝の新聞を眺めたら、県政は「県民投票」の実施も視野に入れているらしい。翁長知事曰くの「あらゆる手段を講ずる」のあらゆる手段のひとつなんだろう。

率直に言って、「なんのために?」という疑問が生じる。埋め立て承認を取り消して、辺野古・大浦湾の海を埋め立てる政府の根拠を消失せしめるだけで十分ではないか。もちろん政府からの対抗措置はあるだろうが、それすら織り込み済みで辺野古新基地を断念させると大差で県知事に当選したんだから当然の仕事だろう。

「県民投票」を実施することで、自身の辺野古新基地に反対する政策の民主主義的正当性の裏付けが欲しいんだろう。県知事選挙や総選挙の結果だけでは、それは不十分だということか。

そのように考えていくと、「県民投票」が翁長県知事の(翁長を支持した大多数の県民のと言ってもいい)新基地建設反対の道具として考えられているのではないかというのが気になる。レファレンダムではなくイニシアチブとしての住民投票は、1996年の県民投票、1997年の名護市民投票でもあった。今回の「県民投票」がそれと同程度、同質の住民投票を想定しているんなら、あまり意味をなすとは思えないので、税金の無駄遣いでありやめたほうがいい。そうではなくレファレンダムとして、辺野古新基地建設という政策に関して主権者の賛否を問うなら意味はあるかもしれない。だが、そのような県民投票として位置付けることができるか、沖縄県がまともに考えきれているか、今日の報道からは何一つ見えてこない。

憲法番外地

憲法95条では「一の地方公共団体のみに適用される特別法」の制定は、その地方公共団体住民投票による過半の同意が必要条件である。銃剣とブルドーザーで米軍により土地を奪われ作られた沖縄の基地は、復帰後、「公用地暫定使用法」「地籍明確化法」などによって日本政府が土地取得の権限を得た。それらの法律制定に関して憲法95条に規定される住民投票は行われていない。沖縄は(もしくは、沖縄の米軍基地に関することは)日本国憲法の適用除外の如くである。*1

今回の県民投票が、どのように位置付けられるのか、それ次第では歴史に残る意味ある住民投票になるだろう。

にしても、あまり期待できる状態ではない。

魂の飢餓感

翁長県政が政府と行った「集中協議」とはなんであったのか。一ヶ月の期間で何ができると思ったのか、そしてそれはできたのか。そういう事柄を、一切明らかにせず、なおかつ市民や第三者が検証できる形で記録を残さなかったというのは、いかなる見識であったのか。このような行為に及ぶ県政をどこまで期待すればいいというのか。

絶望は深い。あまりにも深いが故に、溺れることもできない。

ひとつだけ私には提案がある。歴史の検証に耐えうるように議事録をしっかりと残す形で、沖縄県は政府と本格的な協議を始めるべきである。終了した「集中協議」では報道によると翁長知事は沖縄の歴史や現在に触れながら「魂の飢餓感」とまで言葉を繰り出している。日本国政府と沖縄県の本格的協議においては、近代国民国家として日本国が歩き始める時に沖縄を包摂した「琉球処分」まで遡り、現在をどのように考えるべきか。明治・大正・昭和と続いた歴史の中における日本国と沖縄の財政的政策的諸関係の収支や、諸々をも俎上に乗せながら、忌憚のない意見交換をなすべきだ。沖縄はアメリカの属国のような日本国の中の一自治体であり続けるのは、もう限界だろう。

覚醒を

保守系・革新系を問わず、沖縄の民衆には、あまりにも頑迷な政府に対して諦めの気持ちも惹起する。だが、その政府は、違憲と言われる安保法案を強行採決する政府であり、我々の島々は既にして中国との小競り合いを想定した島嶼防衛に飲み込まれている。諦めは新たな沖縄戦の阻止を諦めることにつながる。地獄の到来である。

シュワブゲート前、辺野古・大浦湾の海上で、人々は本気で阻止すべく、可能な限りの非暴力不服従の直接行動を続けている。その人々に支持され、現状を打破すべく代表になった政治家の方々には行うべき仕事がある。きっちりと先を見据え、状況を切り拓いていってほしい。

沖縄県の覚醒を望む。

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ryukyushimpo.jp

 

 

*1:日本国憲法と沖縄Facebookマイノート