みやぎブログ

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「これだけ長い時間議論されてきて合意が得られた内容」について

放っておくと、ここに何も書かなくなるので、TwitterFacebookに書くには少し長いものを書いて置いておく。

 

誰が、言ったかなどあまり問題ではないので記録しないけど、辺野古新基地建設問題(普天間辺野古移設問題といってもいい)に関して「安全保障に関わる部分で、これだけ長い時間議論されてきて合意が得られた内容を」云々と、いう発言をみた。

であるから、興味がないっていうことのようだ。

「これだけ長い時間議論」してきたにも関わらず、沖縄の意見や考え方など一顧だにされず、日米両政府で勝手に「合意が得られた内容」であるから問題なんだという認識は持てないんだろうか。

安全保障に関する問題は、地方公共団体や主権者である国民の意思など何一つ問うことなく、国家が全責任を負って進めていいというんだろうか。

ことの経緯と現在を少し調べて考えてくれれば、「沖縄」がなにを言っているのかぐらいはわかりそうなものだが、そのような労をとる必要もない他人事なのだ。

 

1995年に少女暴行事件があり、1996年にSACO合意で沖縄の負担軽減として県内移設の条件付きで普天間返還が合意され、1997年に移設先とされた名護市で市民投票があり反対多数になったが、1999年に沖縄県知事と名護市長が「使用期限」や「軍民共用」などを条件に移設受け入れし、日本政府はその条件を受け入れ移設方針を閣議決定した。2006年に在日米軍再編協議で、沖縄側からの条件を入れた計画は見直され、新たに辺野古新基地建設計画が日米合意された。1999年の閣議決定は廃止される。

沖縄県は猛反発し、同計画に合意せず、地元名護市だけが滑走路をV字形にすることで合意。2010年には、公約違反を問われ名護市長は落選し、反対する市長が初当選し、沖縄県知事は日米合意見直しで県外移設を求めるを公約に当選。その県知事は2013年に辺野古新基地建設の埋立承認をし、公約違反を問われ2014年の知事選挙で大差をつけられ落選。2014年に誕生した新知事も市長も反対し、衆院選も全選挙区で反対する候補者が当選し、自民党は選挙区では全て落選。そして現在である。

 

日本政府は現在でも、沖縄側との協議でこの計画を進めてきた如く菅官房長官あたりが発言するが、沖縄側と協議して進めてきた1999年の閣議決定は2006年に廃止され、沖縄側と日本政府の辺野古移設問題に関する協議はその時点で完全に破綻している。

安倍首相は国会で堂々と恥ずかしげもなく2009年以降の民主党政権が、普天間移設問題(辺野古新基地建設問題)をこじらせたかの如く発言しているが、条件付きで移設容認していた沖縄の自民党保守系をも蚊帳の外に置く形で現在の計画に変更、日米合意した2006年が現在の問題の発端である。今日の状況は、自民党政権自身がつくりだした、沖縄切り捨ての結果である。

もちろん、「沖縄」にも様々な意見があり政治的立場がありイデオロギーがある。

1999年に、県民を決定的に二分しながら条件付きで移設容認がなされたが、その条件をいとも簡単に葬った2006年の日本政府がある。おかげで、それまで普天間代替施設としか認識されていなかった建設計画が、その規模と機能の拡充が県民に冷静に受け止められ、これが単なる普天間代替ではなく、未来永劫沖縄を海兵隊基地の島にする新基地だと認識されるに至った。

現在の沖縄県知事は紛れもなく政治的思想信条は「保守」の人である。その県知事を「革新」や様々な思想信条を有する人々が、辺野古新基地建設拒否の一点で支えている。

日本政府が本気で安全保障のことを考えるなら、辺野古新基地建設を断念し、そのうえで、沖縄側と真摯に対話することからやりなおすしかない。

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