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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

「辺野古新基地建設」阻止について

辺野古新基地建設」阻止中毒になっている。寝ても覚めても、どうにか阻止したい、阻止しなければとそのことばかり考えてる。考えてるだけでは心身に悪いので、早朝から友人から借りた車を飛ばし辺野古・大浦湾の海の上に通い続けている。

 

その様子は、Facebookに備忘録として写真とともに投稿している。Facebookだけではアクセスしたい人に不便だろうから、ブログにも転載することをそのうち考える。

日本のマスメディアではなかなか報じられないし、人々の大きな関心を喚起することができているとはいえない状況である。例によって、沖縄問題として沖縄に押し込めておく「力」が働いている。それがどのようにして打ち破られるのか、私にはわからないが、なにかのきっかけで関を切ったように状況は変わりうるときもあると信じている。

「刑特法」による威嚇

日本政府は、広範囲な辺野古沿岸域及び大浦湾を日米共同使用区域(臨時制限区域)と設定することで、市民県民の反対行動を「刑特法」で摘発する威嚇をしているが、現状では、行動する市民側のカヌー隊や船団が臨時制限区域内を行き交っている。今後、臨時制限区域がブイやフロートで海上で明確に示されたときに、どのような展開になるか予断を許さないが、「刑特法」による威嚇は日米両政府の横暴さへの市民県民の怒りを増幅させただけで、萎縮させてはいない。

1945年の沖縄戦以来、米軍基地は沖縄に居座り続けている。それを「長期的に持続可能」(日米共同声明2014.4)とするための辺野古新基地を沖縄は決して認めないし、断固拒否し続ける。それらは直近の世論調査でも明らかになっている。

国家対市民

政治的にはオール沖縄での翁長県知事誕生で、沖縄の意思を明確に示し日米両政府と対峙することになるのだろうが、それだけですべてがドラスティックに変わるとはおもえない。辺野古現地での市民運動の踏ん張りが最前線であることは論を待たない。

日米両国政府という強大な権力に対して、自律的自発的な市民一人一人の集まりである現在の辺野古現地での闘争は、物量的にも人員的にも資金的にも外形的にはあまりにも非対称の闘争である。

その闘争に心を寄せる沖縄県民の裾野は深く広い、全国からも海外からも参加し支援する人々がいる。何一つ楽観的な見通しが立てられる状況ではないが、現地闘争に参加する人々には楽天的ともいえる明るさがある。

変革されるべき現在

日米両国政府が沖縄の島に海に線引きした臨時制限区域を超えて、人々の「表現の自由」が行使されている。この島は海は、日米両国政府が勝手に線引きして軍事基地にできるものではない。イマまでそうしてきたこと、そうさせてきたことが異常であり強権的/隷属的でありすぎた。この数年、沖縄で沖縄の現状について沖縄の人々が「差別」という意識で捉え返した気付きが、現状を変えうるもの、変えなければいけないものという認識を導きだしている。

今以上の弾圧は来るだろう。国家により市民への暴力が揮われるだろう。人々が行使している「表現の自由」は、その国家の不正義をあますとこなく告発し、止むことないだろう。これは鋭く人権問題であり、国家による一地域への不正義であり、民主主義の根幹を掘り崩す国家による主権者への弾圧である。

沖縄の問題だと誤った認識を持っている人々は大勢いるはずだが、いつか気付くだろう。日本国における普遍的な人権・自由に関する問題であったと。

 

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写真は悪天候の日に、我々の船を危険な外洋側に追い出し、出て行く様子を眺めている海上保安庁のゴムボート。この眼差し、この行為。私は忘れない。