宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

辺野古海域の方言呼称

辺野古基地建設の反対運動に、私なりに身を投じたいと身辺整理をしてそのための時間をつくったり、やるべきことがらも滞らせるわけにはいかないと調べ物をしたり構想したりしているうちに、ブログを書く時間と気力をみつけきれないでいた。

 

この間には、大浦湾への制限区域ブイ設置の抗議のために平和丸に乗船させてもらって、海上保安庁の職員(および公安職員)らと相対したり、いろいろあったが、そのうちどこかでまとめて書く機会があるだろう。Facebookには、思いつくままに書き飛ばしているので、それらが記憶と記録を手繰る糸にはなる。

辺野古の海

辺野古区発行の『辺野古誌』から、辺野古の沿岸域の「名」に関する部分をタイピングしたので、できるだけ大勢の人に、何が失われようとしているのかを知ってほしいと思いここに公開する。

名護漁協の組合員の方々は漁業補償を得て埋立に同意したが、辺野古の海は人々のコモンズであることは動かし難い事実である。

沿岸域における海と人々のつながりは、かつてのように豊かなものではないかもしれないが、辺野古の海が人々を沖縄戦後の混乱の中で飢えから救ったのも事実である。

豊穣な海を、軍事基地に破壊されようとしている。それも沖縄戦時に米軍が強奪した土地の上に造った基地の移設と称して。尚且つ、軍港付きで戦闘機も利用できる要塞として。幾重にも酷い日米両政府の計画。このまま実行させるわけにはいかない。

辺野古誌』より

辺野古海域の方言呼称

広大な山野と太平洋の海に抱かれた辺野古は、さまざまな海の幸に恵まれ、普段の食生活から、農作物の肥料となる海藻やウナー(ナガウニ)も海から得た。特に干瀬からイノーは村の人々の生活圏であり、そこを中心に経済的にも深く関わってきた。海は、漁民だけでなく、シマ(村)に済む人々にとって陸地同様、生活とのつながりが深く、その利用してきた海域には多くの地名がつけられている。

海には、主として地形によって、方言で呼ばれる名(ユビナー)がある。海岸から外洋に至る海域の伝承地名を次に挙げてみる。

陸と海浜との境に海岸植物が群生しているところ「ニィ」(根)と称し、それに続く砂浜を「ハマ」(浜)と呼ぶ。満ち潮に波が打ち寄せては返すところを「スーグチ」という。

アセラバマあたりからナガサキ一帯にかけて、スーグチに沿い海に面して砂岩質の岩がある。その岩と岩との間が切れ、砂浜海岸になり、湾状で常に潮の溜まっている地形を「ワダー」と称す。陸上交通の不便な頃、海から採れる海藻や農産物を搬入する天馬船がスーグチまで出入りできた。ワダーにも、陸地名を冠した「フーナスワダー」があり、農作業の天馬船などが利用したという。

波打ち際から海に面した岩を超え白浜になり干潮時でも干上がらないところを「イノーワダ」という。その浅瀬海域はイザリ(漁火)漁の範囲であった。そこから干瀬までの内海を「イノー」と称し、「ピシ」から内海を一般に「イノーウチ」という。そのイノーウチでも、ところによっては最大干潮時になると干上がり白砂が見える。そのようなイノーで海草の生育しているところを「ジャングサヌミー」という。ジャン(ジュゴンの方言名)が好んで食べる海草であることから、そう呼ぶ。また、一帯の海中の砂地には自然のモズクも生育し、モズクの時期になると、住民は篭を担いで「スヌイ」(モズク)を採り、食用として保存した。干瀬寄りのイノー内近辺に分布している岩礁を「ヤナヌミー」という。

外海とイノーを境にしたリーフ群を「ピシ」(礁原)と称す。その干瀬でもイノー寄りにピシに平行してジュー(溝)一帯を「フカワタ」と呼ぶ(干瀬上の岩名シラカンギの位置するイノー寄りの一帯)。またピシ上でもサンゴ礁が発達している外海寄りでクムイなどが形成され、低潮時に早く干上がる高まりの頂を「マツチュジ」と称する。このマツチュジ一帯には貝類も豊富で、潮干狩りには住民の漁り場として賑わう。また干瀬上でも外海からイノー(内海)へ溝地形(ジュー)になり、潮が流れる所を「ウナギリ」と称す。

干瀬でも、一般的にはイノー寄りを「メーピシ」、外洋側を「ピシヌクシ」と呼んでいるようである。

干瀬には波で寄せられた岩石が点在しているが、それらの岩を「ユイサ」という。外海とイノーを境にするリーフの割れ目を「クチ」と呼び、外海から内海への航路ともなる。干瀬から外海を「ピシフカ」という。一般的には外海が広く平たい水面であることから、「ウートゥ」とシマの人々は呼んでいる。また、黒く深なったところを「クルトゥ」ともいうようである。

ピシフカの海底に岩礁が山のように盛り上がった岩が散在しているが、その岩礁を「スニ」と呼ぶ。スニは一般的にはあまり知られておらず、戦前外海漁をした古老だけがよく知っているという。

ウートゥからさらに外洋は「ケーソ」と呼ばれる。

このように、辺野古海域の海岸から沖合まで、その地形にあてた地名(ユビナー)があり、ここもシマの人々と深く関わってきたことがよく分かる。

季節ごとに、外海から藻や小魚を求めて集まる種々のユイムン(魚介類)や海藻類も多く、先祖伝来の漁法で獲り、一部は加工保存もして、祝い用や祭祀の時に海の恵みとして供え捧げてきた。

また、魚介類だけでなく、海に生育するサンゴ礁も、石灰の原料や猪垣・墓の建材として利用されたのである。海は実にシマに住む人々の生活と大きく深く関わってきたのである。

辺野古誌』(1998年4月辺野古区刊)111~112p

 

f:id:nagonagu:20140806123232j:plain

f:id:nagonagu:20140806123305j:plain