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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

旅の途中

15・16日と2ステージあった「非戦を選ぶ演劇人の会」の東京でのピースリーディングに参加してきた。語弊を恐れずにいうが、とても楽しかった。俳優さんたちの集中力は素晴らしい。圧倒的な情報量が、すべて現実現在を問う。あの「場」にいれて私は良かった。

 

帰ってきたら、辺野古の埋立工事に向けての政府の強行であり、沖縄県知事選挙に向かう動向である。個人的には私生活の下部構造をどのように支えるか、難儀な問題に相変わらず直面し続けるが、脳は演劇や書くことや考えることに誘引されていく。生きることは厄介である。

いくつかブログにきちんと書かなければならない事柄があるが、Facebookにチャチャっと書いてしまって、新たに記事を書く気もしてこない。ここに二つ転載しておく。ひとつは沖縄の現在についての所感。もうひとつは県知事選挙について。

ずっと旅の途中のような気分である。それならそれで旅を続ける意思を明確に、少し体勢を立て直して、落ち着いて書ける(考えられる)ようにしたい。

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瓦解していく沖縄21世紀ビジョン

セントラルトレーニングエリア(シュワブ・ハンセンに広がる訓練場)の空域拡大やいくつかのニュースをネタにブログ記事を書こうと思ったのだが、気が乗らないのでやめた。酒飲む。
辺野古新基地建設を容認することは、仲井眞らが考えているほど簡単なことではない。起こっている事態は、沖縄が主体的に日米両政府が目論む「長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」ことに協力することである。
わたしは、多少は日米両政府に協力しつつ経済的利益を誘導し「自立経済」の基盤をしっかりしようと…なんとなくでも考える人々がいることを否定しないし否定できない。だが、いま仲井真県知事や自民党県連が行っている選択は「多少」ではない。根本的なところでの変質である。
根本的なところの根本とはなんだ。「基地のない島・沖縄を目指す」という沖縄の集合的意識である。米軍施政権下の時代から復帰時から、連綿と続いてきたその意識・理念・言葉である。
仲井真知事が端緒についたばかりという「沖縄21世紀ビジョン」にも、それは当然の如く触れられている。「基地のない島・沖縄を目指す」というのは何も革新だけのスローガンや願望ではないのだ
それが、沖縄の有権者である県民の投票により選ばれる知事や議員らによって裏切られ瓦解していく。沖縄のビジョンは成立しようがない。
たぶん、琉球処分沖縄戦、4.28の切断、72年の再包摂、ぐじゅぐじゅに噛み砕かれ咀嚼され、沖縄が日本の中に溶けていくプロセスなのだ。消化液が大量に排出されグチャグチャになる。ここで抗い、仲井眞らのやっていることを止めさせきれないのなら消化されてしまうだろう。
消化されて日本国の血肉と汗と糞に成れれば本望と思う人もいるだろうが、わたしはそうは思わない。
そんなことを、少しわかりやすく事実を大切にブログ記事にそのうち書いておく。備忘のためにも。
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米軍中部訓練場上空の高度を拡大 基地運用計画に明記
琉球新報2014年7月17日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228647-storytopic-3.html

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事態の危機に見合った直裁なテーゼを

7.21タイムス2面の「解説」を読んで

2014年7月21日 12:37
 
「承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせない」

 

県知事の埋立承認をそのままに、「辺野古新基地は造らせない」と県知事候補および県知事選挙を戦う政党がいうことをどう信じろというのか。これが保守を含めた幅広い支持を集めるための着地点だというが、保守とは埋立承認という行政的意思決定をそのままに「辺野古新基地は造らせない」が実現できると期待する人々なのか。

 

革新側の保守層への配慮のようでいて、保守層をウシェーテないか?とさえ思う。

 

極めて現実的に考えて、国家行政が今日辺野古で進めている事態は、仲井真県知事の埋立承認があったことで推進されている。その埋立承認を撤回することなく政府が話し合いで「辺野古新基地を断念」などするはずはない。それよりも、承認撤回を「県民の声を尊重し」と引っ込めつつ「辺野古新基地は造らせない」というテーゼは、選挙時に県民の手前そういうしかないレトリックと忖度され、当選後の妥協に期待し、妥協のための様々なオプションが用意されるだけだろう。結局は「辺野古新基地は造らせない」というテーゼは、辺野古に造られるのは新基地などではなく普天間危険性回避のためのシュワブ内への吸収であって、新たに提供施設区域が設定される新基地には当らないと判断され是認されるレトリックに転じてもおかしくはない。

 

ことは政治であり、行政の長という政治家は可能な限りの選択肢を確保し意思決定をなしたいという欲望があるだろう。しかし我々主権者は、一つのイシューに関して明確な意思決定を成したいし成すしかない。それが「辺野古新基地は造らせない」ということである。

 

辺野古新基地建設を、1945年沖縄戦時以来の普天間基地の成り立ちと現在と到達点として、県民がこれを阻止すべきものとして拒否する対象にしているのは、何も大浦湾の自然の豊かさや周辺住民の基地被害の増大に関する全うな危機意識だけを根拠にしているのではない。沖縄戦時に沖縄の住民を収容所に隔離している間に土地を強奪し造った基地は、無条件で返還されるべきだ。それを県内移設として受け入れることは、沖縄が二重三重に軍事植民地としての状況に隷従していくことに繋がる。1945年時にはウチナンチュは収容所に隔離されていたが、2014年現在は自由な意志と自己決定権を持つ主権者としてここにあるはずだ。それとも我々がいる島は未だ戦時中で我々の島での生活空間は収容所なのか?

 

県民代表である県知事および政治的主体として牽引する政党各位は、政治的レトリックに拘泥することなく、事態の危機に見合った直裁なテーゼを主権者に示すべきである。

 

もとより、県知事選挙は政策意思決定に関する住民投票ではない。しかし県知事の持つ絶大な権力を思うとき、重要な政策的意思決定を曖昧にすることは間接民主主義そのものを腐食させることにつながる。

 

県政野党の知事選候補者選考委員会の姿勢や態度や言葉への感度を超えて、県知事候補が自らの政治姿勢および公約の中で「辺野古新基地は造らせない」を明確にするだろうことに期待したい。

 

大事なことなので二度言うが、事態の危機に見合った直裁なテーゼを主権者に示すべきである。もう十何年この問題で翻弄され続けてきたと思ってるんだ。

 

【参考】

三宅俊司:タイムス朝刊記事からー埋立承認取消、撤回を明示しないままの、候補者一本化でいいのか…

https://www.facebook.com/shunji.miyake.1/posts/620983807999644

沖縄タイムス:脱革新共闘へ結束 保守層向け環境整備

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=77381

 

 

http://instagram.com/p/qkw7HpSWlE/