みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

岐路に立つ沖縄

沖国大の佐藤学さんと元朝日新聞の佐藤拓と三人でmailのやりとりを数年続けている。数ヶ月に一回は、実際に会って居酒屋あたりでウダウダ四方山を語り合う。基本的に私が貧乏で尚且つヒキコモリなもんだから、いつもお二人には迷惑をかけている。落ち合う居酒屋も、私が住まう大里の田舎にある小さな焼き鳥屋だ。数ヶ月前は、そこにガバン・マコーマックさんと琉大の島袋淳さんにも来てもらった。私はほんとに、不遜な輩である。

踏ん張っている地点

居酒屋で愚痴をこぼすのも疲れたので、最近は愚痴はこぼさないことにしている。世の中、なるようになるし、なるようにしかならない。起っていることを誰もが見ているのかというと、誰もが同じように見ているとは限らない。当然のことといえば当然のこと。

沖縄は「オール沖縄」で威勢のいい状況だと思っている人々もいるかもしれないが、私にはこれ以上は後退できない地点で踏ん張っているようにしかおもえない。そうして、これも当然ながら、そんな沖縄に対して政府は周到に攻めてくる。そしてそれに呼応する人々が、沖縄の域内の行政権力を握る側に配置されている。沖縄県知事然り、宜野湾市長然りである。

SACO以来の保守県政

おもえば、1996年のSACO最終報告からこの方、ずっと保守県政であり続けている。辺野古新基地建設が完成していない方がおかしい。一度は、どうにかなりかけたのだ。稲嶺県知事と岸本名護市長の「条件付容認」で辺野古新基地はずいぶん進んだ。最終的には在日米軍再編で条件など日米両政府は踏みにじって捨てたが、その過程で彼らはずいぶん学んだ。沖縄が積極的に諸手をあげて基地政策に協力してくれることを望むことは難しいが、消極的に(条件を付けて)協力してくれることは確認できた。その誘因は「振興策」であり、三次に渡る振計の延長の結果でありポスト振計の仕組みである。そう保革超党派で沖縄が要求した「沖縄振興一括交付金制度」ですら、政府にとっては沖縄をコントロールする仕組みである。(そうなるだろうことは目に見えていた)

国政における民主党・鳩山政権の誕生は外務防衛官僚には誤算だった。そのおかげで、沖縄から普天間の「県外移設」要求が噴き出してしまった。条件付容認していた自民党も何もかもが、卓袱台返しみたいにひっくり返った。しかし国政は再び自民党に戻る。それも安倍晋三の二期目である。参院のねじれも解消して、安倍政権が沖縄を畏れる謂れは無い。仲井眞県知事は安倍の応援団であると自称し媚を売る。

名護市長選挙こそ、現職の稲嶺進市長が再選されたが、続く石垣市長選挙、沖縄市長選挙と自公協力の選挙の強さを我々はみた。

統合後の返還地に米軍を埋め込む

1996年のSACO最終報告が1945年以来続く在沖米軍基地の永続のためのスクラップ&ビルドと再配置であるのは誰の目にも明らかだ。SACOの最大眼目の普天間移設は停滞したが、他の事案は漸進した。高江のオスプレイパッドもオスプレイ備前には間に合わなかったが、少しずつ進んではいる。北谷の海軍病院も移転し、隣接する返還地である西普天間住宅地区では海軍病院も連携する形で「国際医療拠点」が目論まれている。こんなのが、昨日今日、沖縄県宜野湾市が考えて出てきたプランだと思う方がおかしい。仲井眞県知事や宜野湾市長ら保守系の政治家は、政府と共に米軍基地が再配置されるプロセスにおけるビジネス、再配置された以後のビジネスをみている。酷いのは、「銃剣とブルドーザー」で奪われた土地の返還後のビジネスに米軍を埋め込む行為だ。言っとくが「国際医療拠点」は沖縄の庶民のための高度医療など微塵も考えていない。富裕層をターゲットに、博打を打ってるだけだ。その賭金は国民の税金でしかない。

長期的に持続可能な米軍のプレゼンス

4月25日のオバマと安倍による日米共同声明はいう

普天間飛行場キャンプ・シュワブへの早期移設及び沖縄の基地の統合は、長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする。この文脈で、日米両国は、沖縄への米軍の影響を軽減することに対するコミットメントを再確認する。

明らかに沖縄は重要な帰路に立っている。1945年の「沖縄戦」以来居座る米軍基地が、1972年に日本国憲法の下へ復帰してもそのまま居座り続け、いま「沖縄の基地の統合は、長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」と明言された。沖縄はこのまま長期的な「基地との共生」を選択するのだろうか。統合の結果生じる返還地を、米海軍と連携した「国際医療拠点」にするなどというプランは、「基地との共生」以外のなにものでもない。

自民党はかつての自民党ではない

沖縄は自民党支持者が多い。困ったもんだと思う。沖縄の自民党支持者が支持している自民党は、かつて「償いの心を持って沖縄の復興に尽力する」と誓った自民党では、もうない。

愚痴はこぼすまい。人々とともにあろう。正義や道理を振りかざすこと無く、できる限り、庶民の生活感覚の中から抵抗の因子を探し、ともに生きるための闘いの道を探そう。沖縄に基地を押し付ける政府権力に抗するのであって、隣人といがみ合っている暇はない。かといって無視していい相手ではない。ともに生きる相手なのだから。

日本政府に沖縄を畏れる謂れはある。沖縄に対してとり続けている態度は、差別であり民主主義を踏みにじる行為だからであり、それに抵抗する人々を根絶やしにはできないし、そしてその行為をみている沖縄の同胞はおり、抵抗が野火の如く広がる可能性は決して消え去らないからである。

最近は、友人たちに芝居の話ばかりしている。私には私の闘い方があるはずだ。

 

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イイムイ

うちの近所の御嶽で