宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

SFのSはSlapstick、SFのFはFusion。

2月は、tumblrのノート池澤夏樹朝日新聞コラムについてメモを残したりしたんだが、ここには何も書けなかった。ブログの記事など、編集者が存在しているわけでもなく自分勝手に考えていることを綴るだけだが、どこか/なにかに向けて書いている自分がいる。日をおいて改めて読んだり、他者の応答(直接的だろうと間接的だろうと)を得たりしながら、私はゆっくりと転がっていく。そのために書いているんだろうと思うが、そのためにもいま考えていることを書き記しておこうと思う。

今日、ツイッターで次のようにつぶやいた。

沖縄に生きる他者を「沖縄人」と名指す小説家が、沖国大ヘリ墜落で被った住民の被害をなかったことにする酷さは擁護できる性質の錯誤か。死者が出たら基地になだれ込み射殺される「沖縄人」を想定するのは良心的警鐘の故として看過できる性質の妄想か。このヒトゴト感。その空気が我々を苦しめている。

池澤夏樹コラムの読みの延長なんだが、「空気」とは必ずしも池澤夏樹ひとりで作るものでないのは自明。このようなヒトゴト感を文から感受する私の憤りは私の読みでしかないが、同じ文から何を感じたが知らないが絶賛する人々も、私にとっては「空気」を作り出している人々でしかない。そのような人々が、沖縄を意識的に差別し遺棄するのではなく同情し共に闘うことを欲しそのように努力する「日本人」であることが、私はとても寂しく苦しい。チムグルしい。

沖縄における基地問題は「差別」としか呼べない地平に到達しており、そのような「差別」に向き合わされる私たちは、差別される沖縄であり「沖縄人」であることを意識せざる得ない。例え、基地問題を問題とはおもわず反対もせず賛成し金を得ようとする「沖縄人」がいたとしても、それがどうしたとしかいえない。基地問題が厳然とある限り、私たちは総体として差別される沖縄であり「沖縄人」であることに変わりはない。

政府は「沖縄に理解を求める」を繰り返す。差別に対する理解を求めているのだ。沖縄の抗議や全首長/議会の要請は一顧だにされず、その理解だけが求められている。

私が池澤夏樹コラムに感じた違和感やヒトゴト感を、言葉を尽くして説明し多くの日本人に理解を求める必要があるのだろうか。日本政府は理解を求め、日本人は理解させよと求める。

この空気が我々を苦しめている。

今日、もうひとつ次のようなツイートをした。

カフカの城ではないがおなじところをぐるぐるまわって/まわらされている。たしかにいろんなことがあり、時は過ぎた/積み重なったが、旅人は憤りにまかせて好き勝手ほざいて、また城の麓の住民たちの責任に帰せられるだろう。喧噪は空疎で内実を持てず、遠くで官僚たちが欠伸し政治家が鼾をかいてる。

沖縄防衛局が、新基地建設のための埋立申請行動に入った。名護漁協に同意申請書を提出したようだ。漁協長の古波蔵は辺野古在住のおっさんで、1997年の市民投票時にはNHKの取材カメラに向かって「辺野古に活性化はいらないという人は(辺野古を)出てってくれ」と反対する市民/辺野古住民を恫喝した人物だ。それも名護市役所の職員で、消防長も務め退職した公務員であった。驚くべき乱暴者で小賢しい権力者で、名護のような田舎がどういう町で辺野古がどういう集落なのかがよくわかる人物である。

名護市長はもちろん埋立に反対しているが、彼の論拠は自らの選挙時の公約と「オール沖縄」という沖縄の現状だけである。政府は、名護市長をスルーし、漁協長でもある辺野古の古波蔵や名護市の保守派議員や、1997年に市民投票を結果を裏切り基地を受け入れ辞任した(政府や官僚たちが英雄の如く物語りをつくるのに躍起になっている(いた?))元市長の比嘉鉄也らに期待する。私が政府官僚であったとしてもそうするだろう。

オール沖縄がこけおどしではないという証左を沖縄の首長や議員らのエスタブリッシュは示し得ていない。どこの自治体も現在行なっている米軍基地に関する政府との土地契約を撤回し拒否する意思は示していないし、その意味では良好な駐留軍用地の確保がなされている。政府は民意を背景に動くしかない首長や議員をなだめすかし分断し事態を落とすところに落とす自信がある。

これからの事態の推移をもって、多くの「日本人」たちは、辺野古名護市が受け入れるならばと安堵したり憤ったりするだろう。バカじゃないのか。日本が沖縄への基地の押し付けをヤメればいいだけだ。安堵する人たちには軽蔑を、憤る人たちにも同様。17年もこの問題に向き合って、私はそのような感を禁じ得ない。度し難い寂しさが傍らに鎮座している。

たぶん、これが正直な私の現在の気持ちだ。そのうえで、状況を変革するためにはどうしたらいいのか。私のような日々の生活にも汲々としている民草が何をすればいいのか考えることができるのか、そのことをみつめている。闇は深く底はみえない。

名護市では「北部地域振興協議会」が普天間基地辺野古移設を促進すべく市民大会が行われた。業者のみなさんの動員や諸々だろうが、その人たちがいないかの如く振る舞うのは私は間違いだと思っている。YouTubeに動画があがっていたので、紹介して終わる。

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YouTube: 2・21普天間飛行場 辺野古移設名護市市民大会(荻堂)

商工会長で主催団体である北部地域振興協議会の会長(でもあるのかな?)荻堂さんのスピーチ。

最後の件からみえるのは、この大会が埋立申請の援護射撃としての大会であり、県民世論や諸々の批判を受ける気はないのでこれっきりにするという風にしか聴こえない。いろいろな思惑や力関係が錯綜して開かれた大会なんだろう。基地建設賛成勢力である名護市議はひとりも参加していないらしい。辺野古選出の市議ですらが。

荻堂さんはそれらの間で引き裂かれ役割を引き受けた。引き裂かれてはいるが、引き裂く両極は基地建設推進では一致している。島袋吉和前市長は既に梯子を外されているのだろう。自身の腹心を県議にした比嘉鉄也元市長たちと市議らがどのような動きを成そうとしているのかはみえてこない。

いずれにしても荻堂さんの言っている賛成の論理における状況の推移/把握はずいぶん前で止まっている。沖合300メートルで条件を付して受け入れた基地建設計画は米軍再編で消失している。その条件がなし崩しにされたことを、認識できない(もしくはしているが問題とは思えない)名護の「誘致派」に、金以外に条件等あろうはずはなく、同時に普天間の危険性除去等建前以外の何物でもない。

このような事実関係や経緯を無視したトンデモ主張を、極めて少数の無視していい存在として放置することなく、まともな議論の場に引きずり出すべきだと私は思う。

そういう意味では、稲嶺市長の政治的な方針や発言行為は、間違っていると思っている。「オール沖縄」に依拠することなく、名護市における民主主義的議論を討議/闘技を尽くすべきだ。

しかし荻堂さんの鳩山氏が首相時代に行なったという「海兵隊は抑止力ではない」という発言は、真逆ではなかったか。ゆくし力は様々な場でゆくし力を発して、とんでもないバラバラな世界認識が融合するパラレルワールドを作り出している。SFのFはスペキュラティブなフィクションではなくスラプスティックフュージョンである。

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