みやぎブログ

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沖縄は安保が許す〔余分〕の中の自治と振興を超えれるか

0117

琉球新報2013.0117/2面「透視鏡」(ウェブに記事が公開されたらリンクを貼ります)

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「難しい情勢なので、できるだけ県民の理解を得られるように努力したいからよろしくお願いします」

「県民を納得させてください」

前者が日本国の防衛大臣で、後者が辺野古在の名護漁協長(古波蔵廣)。古波蔵は納得もなにも誘致し早く着工して金銭補償の交渉に入りたいのだから、逆に政府にハッパをかけた格好だ。

このような会話は記者が壁耳で取材したのではなく、古波蔵が面談後に記者団にとうとうと明かした話だ。

全県的には孤立してみえる名護の誘致派だが、政府は彼らとのパイプで薄い「県民の理解」への回路を探る。誘致派は誘致派で、そのパイプがあることだけが彼らが寄って立つリアリズムである。であるから、このように記者団にとうとうと明かす。古波蔵はバカではない。計算ずくで意識的に記事を書かせるべく喋っている。

自民党県連は県外移設を主張するが、名護市の誘致派が名護市政の権力を握るという形で「県民の理解」(少なくとも形式的には名護市民の理解)が得られた時には、その主張が溶解する触媒になるのは間違いない。名護市の誘致派が、自民党県連や沖縄の保守系(経済界や諸々)と通底する回路を持ってないはずがない。この「面談」そしてその内容の明かしは、その回路へのシグナルでもある。

私は名護市長が、誘致派を特定の少数者として切って捨てるような発言をするのは政治的には誤りだと言い続けてきたが、彼らを日のあたる所に出して発言させ存在を認めるべきだと今でも思っている。その上で闘技的対話を通して問題点を明らかにし、名護市有権者に選択を求めるべきだ。バベルの混乱のように言葉が通じない状況を放置していていいことはなにもない。

上記は、昨日フェースブックに書いたメモ。

このような動きは、役所としての防衛省/沖縄防衛局の基本的姿勢であり、自民党政権に復古したから始まったという動きではない。歴代の沖縄防衛局長の発言や、職員の行動から彼らが〔名護市辺野古〕を地元の地元として、「地元が容認しているのだから」という理屈で動いているのは確認できる。

明確に責任と権限が付与された地方自治体でもない返野古区を「地元」として、行政の行為が進められるわけがなく、名護市の同意なく国は事業を進めていく法定の正当性が得られない。

当然の如く、2014年1月の名護市長選挙に、政府は全力で手を突っ込んでくる。

1997年の名護市民投票以来、翌年の市長選挙を皮切りに4年毎に訪れる政府vs地域の総力戦である。5万人強の小さな自治体の首長選挙で、4回もそのような政治決戦が行なわれ年明け1月で5回目である。日本政府の諦めの悪さはストーカー法で告発すれば裁判所が名護市への接近禁止命令を下してもおかしくないのではないかと思えるほどだ。

1.27日曜日には沖縄の全首長/議長が東京行動を行なうらしい。そのような〔オール沖縄〕の動きがどのように功を奏すか、なにひとつ楽観できる兆しはみえない。オスプレイ強行配備は、沖縄の自治や自己決定など日米安保が許容する範囲の〔余分〕のみであることをまざまざと教える。沖縄の振興も自然保護も、教育も生活も文化も、その〔余分〕の範疇でのみ語られ施され営まれる。

政府が沖縄に「理解を求める」としているのは、その現実への「理解を求める」ということである。

「県民を納得させてください」という声は、その〔余分〕の中で利益を最大限に拡大し享受したいという人々の声である。

去った衆院選結果でも明らかなように、沖縄は保守主義者が多数派を構成する島である。翁長那覇市長に代表されるように沖縄の保守は「県外移設」を現在では主張しているが、元々はその〔余分〕の中で革新と争い〔余分〕の中での社会を延命させてきた勢力である。

名護市の「誘致派」が、沖縄の保守主義者の中でも特異な存在なのか、そうではなく連綿と続く本流の中にいるのか、私にはわからない。でも彼らが特異でとるにたらない特定少数者だとは思えない。米軍再編で日米両政府が計画変更するまで、沖縄は長い間、新基地建設に自ら軍民共用などの条件を付けて加担していた。加担していた沖縄の政治勢力からそのことの総括など聞いたこともないし、日米合意でなしくずしになって今日あるだけである。

翁長那覇市長朝日新聞のインタビューで「折れた」という言葉を使っているが、使用期限の条件も自身の手柄の如く語る彼の心性を考えると、彼の政治的信条や信念は、私には訝しいままである。

ともあれ、名護市長選挙で現職に対立候補は立てられるだろう。沖縄の保守勢力が、どのように立ち上がるのかはまだみえない。