宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

友よ

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photo:yuri.kitano.77

1997年に「大事なことは市民みんなで決めよう」と名護市民投票を行ない、それまでアクチュアルな政治に深入りする気などさらさらなかったのに、投票結果と違う意思決定を市長が行なうものだから深みはまってここまで来てしまった。

2010年1月に新基地建設に反対する名護市長が誕生して以来、義理のある人との付き合い以外は徹底的に人前に出ることなく過ごしてきた。オスプレイ配備が現実日程として動き出すまでは。

沖縄に「自治」などない。憲法で保障された財産権ですら特措法によって台無しにされている。41全自治体の議会が反対決議し、県民大会を開催し、民衆は普天間基地ゲート封鎖までした。それでもオスプレイは2012年10月1日に強行配備され、普天間基地に飛来した。

とても深刻な事態である。

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「政治的には最適」というのは森本発言だが、それが日本政府の本音であることを知らない人はいないだろう。政府は「理解を求める」を繰り返す機械になっている。「政治的には最適」とは沖縄になら押し付けることができるという意であり、そのために「抑止力」や周辺諸国の「脅威」やら「平和」という言葉までが総動員される。
やがて沖縄の民衆は、それらを理解しきれないエゴイスティックなヒステリー集団で、しかしながら過去の歴史体験もあり同情を禁じ得ない部分もあるので「沖縄の苦労、みんなで考えて」ということになる。だれも「苦労を分かち合おう」とは思わないし言わない。

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普天間基地は1945年に沖縄戦のさなかに米軍が土地を強奪して造った基地。1972年に日本国がそのまま引き継ぎ、日米安保地位協定に基づき提供している基地。土地を返せと要求する人々の権利を特措法で奪い続けている。

Futenmazone それだけでも充分異様な容態だが、1945年から72年までの間に普天間基地は拡大して周辺の市街化も進んできた。これがアメリカ本国なら運用禁止で即閉鎖の危険な基地であり、日本国の空港法に基づく飛行場ではないので国内法も適用されず放置されている。日米両国の不作為による殺人的棄民安保政策の象徴だ。

(左図は米軍がオスプレイ配備に伴い作成した危険地帯を示す図)

かかる事態が放置され、そこにオスプレイが配備されることへの反対を、抗議を、理解もせず「理解を求める」しかいえない日本国政府をどのように理解したらいいのだろう。ことは、とても深刻な状態だ。

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このような基地を閉鎖・撤去し、土地を返還せよという要求に対して、「県内移設」という条件が付けられたのは1996年。…そうして、冒頭に記した1997年の名護市民投票に至る。

私は名護市民として反対の意思を表明し、市民に呼びかけていた人間として、普天間へのオスプレイ配備をひきこもってみないふりするわけにはいかなかった。

友よ。こうしてまた、止むに止まれず火の粉を振り払うようにジタバタしだしている。沖縄で生まれたという偶然を我が身の大切な一部として引き受け、ただそこにあるだけがこんなにもたいへんだということは、もう笑ってしまうしかない。

53歳になってしまった。もうしばらく有効なジタバタをする力は残されているはずだ。観念して、人々と共にジタバタする。「あきらめない」ということと「観念する」という真逆のことが矛盾せず同時に存在する地平がここにある。

2012年も今日で終わる。来年はさらなる闘いの年になる。隣人を愛し、仲間を信頼し、元気出していこう。私たちは沖縄だ。

今年10月に敬愛する母が逝った。年末年始の挨拶は失礼する。お元気で。

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2012年12月31日
康博


YouTube: Flashmob - Ode an die Freude (Beethovens 9. Symphonie)

子どもたちがいい。
プライズを起こさなきゃ。子どもたちの笑顔のため。 

 

-おききなおきわt