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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

強奪基地『普天間』を撤去返還せよ(2)

国際法に違反し沖縄の住民から私有財産を略奪し造った基地を、まるで現品供給させて対価を払いましたよと国際法(ハーグ陸戦法規)を根拠に「第一次接収」を正当化する盗人猛々しい米軍。

講和条約発効後は米軍が一方的に出す布告・布令で土地を取り上げていく。銃剣とブルドーザーによる「第二次接収」や、巧妙に恐喝し地元同意を取り付け(辺野古・キャンプシュワブなど)たり有無を言わさず公有地を基地等に設定する「第三次接収」があり、沖縄は現在のような「海兵隊」の島になっていく。

NHK取材班の『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』(NHK出版、2011)などによると、沖縄戦の主力を担った海兵隊部隊のほとんどは、日本の敗戦後日本本土に移動し初期の占領政策に従事した後、米本土に帰還している。沖縄に居残ったのは陸軍と空軍の部隊である。

米本土で一旦解散した海兵隊の部隊は、1950年勃発の朝鮮戦争をきっかけに1952年に第三海兵師団として再結成され、1953年、既に朝鮮戦争に投入されていた第一海兵師団を支援するため日本本土へ戦略予備軍として投入される。

日本本土へ投入された第三海兵師団は朝鮮戦争の休戦で朝鮮半島へは派遣されなかった。しかし、戦闘再開に備え日本本土各地の米軍基地(当時は沖縄と日本本土の在米軍基地の比率は今とは真逆で9割近くが本土にあった)で激しい戦闘訓練を行なった。(日本本土では激しい反米反基地闘争が行なわれる「内灘」「砂川」他)

その後、第一海兵師団は韓国に留め、第三海兵師団は日本本土から米軍の占領支配下である沖縄へ(3つのうち1つはハワイへ)移すことになった。沖縄における米軍の「第三次接収」はほとんどが海兵隊の基地/演習場である。

このような経緯を経て、海兵隊の島となった沖縄。その沖縄の、施政権が日本に返還されたのは1972年5月15日。1971年以降の「関東計画」で、さらに在日米軍の沖縄過重負担は増加し続け、70%を超える差別的な集中の今日に至る。「幻の建議書」に書き込まれ象徴される基地の無い島を目指した沖縄の願いは、日米両政府に無視され基地はそのままに施政権だけが日本国に移された。無惨なまでの密約は、日米両政府が沖縄をどのように考えていたか/いるかを如実に表している。米軍の基地の自由使用はそのままに、日本国の金で沖縄の米軍基地が維持され続ける。

沖縄戦から67年を経た。「復帰」から40年を経た。

米軍が国際法に違反し戦時中に沖縄の住民から私有財産を略奪し造った基地である「普天間基地」は、日米安全保障条約による米軍への提供施設と化け、周辺は市街化し日本の空港法も適用されず米軍の安全基準も適用されない「世界一危険な基地」と化している。

その「普天間基地」に、沖縄県民総力を挙げての反対の声を無視しMV22オスプレイは強行配備された。

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沖縄戦から67年を経た。「復帰」から40年を経た。

沖縄の民衆は、9月29日から30日にかけて、普天間基地の全ゲートを非暴力直接行動で22時間以上も封鎖した。

日本国政府も米国も米軍も、沖縄をこれまで通りに、基地の島として維持し統治できると考えるのはやめたほうがいい。時代は変わる。

米軍が土地を強奪し造った「普天間基地」を引き継ぎ、米軍に提供している日本国政府は、同じく強奪犯である。強奪した土地をフェンスで囲い基地にして居座り続け、そこにMV22オスプレイの強行配備など言語道断。安全保障や抑止力やプレゼンスなど、おしゃべりは無駄。土地を返せ。すべての話はそれからだ。

日米両政府は速やかに、強奪基地『普天間』を撤去返還せよ。

参照:全国のそして全世界の友人へ贈る(その2)2009年11月26日