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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

強奪基地『普天間』を撤去返還せよ(1)

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  宜野湾市役所ホームページより転載

Wikipediaの「普天間飛行場」で信じられない説明がなされている。

基地の周りに住宅地が密集している状況については、二つの側面がある。ひとつは、普天間基地の周辺は沖縄戦での激戦地区で、戦後は、日米両軍の不発弾の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点である(もともとの住民が戻ってきただけという話もある)。もうひとつは、基地建設後、本土復帰以降に顕著となった日本政府の思いやり予算に則した基地行政などにより、周辺住民が基地に依存した地域社会を形成し現在のような住宅密集地域となった事実である。


普天間基地は、沖縄戦の最中に米軍が日本本土攻撃のため造った基地である。地権者である住民は収容所に収容されており、なんら抵抗もできず、ましてや米軍による交渉などあるはずもなく造られた基地である。

上記のWikipediaを編集した人間は、1945年沖縄戦時に米軍により沖縄島内に複数箇所造られた捕虜収容所(難民収容所としての民間人収容所ではない)が、普天間にもあったことに着目し、普天間飛行場が建設された経緯を無視し普天間にあった捕虜収容所に収容されていた捕虜がそのまま住み着いたかの如く印象操作する()。後段に至っては、今年(2012)3月に革新系の伊波市長が破れ保守系の佐喜真市長が僅差で誕生した背景に、防衛予算の恩恵を町づくりで受けるべきだという佐喜真氏側の主張があったことなども知りはしないのだろう。基地に依存した地域社会にすべく防衛局は様々なメニューで宜野湾市に言い寄るが革新市政に毅然と拒否されてきたのが近年の経緯である。

Wikipedia編集合戦の徒労に参入する気はないので無視するが、ことほどさように、普天間基地の成り立ちと現在に関する事実は、無視され歪められ適当に扱われている。ほんとうに酷いものだ。

※しかも住民の収容所(民間人収容所もしくは難民収容所)は、ほとんど北部地域に造られており、普天間の収容所は捕虜収容所である。規模も屋嘉収容所287人に次いで718人と2番目に小さい。(収容人員は1948年4月末現在。出典:松宮克也「沖縄新聞について」(沖縄県立平和祈念資料館「資料館だより」No.12』所収))

最近出版(2012.9)された栗間泰男の新著『沖縄の米軍基地と軍用地料』(榕樹書林刊/ガジュマルブックス4)によると、沖縄の米軍基地が造られていくプロセスは三つの時期に分けられる。

  • 第一次接収(1945〜)=戦闘の最中に地主が一切抵抗できない中で軍事接収。
  • 第二次接収(1953〜)=講和条約発効後の銃剣とブルドーザーによる接収。
  • 第三次接収(1956〜)=朝鮮戦争終了後、日本本土で海兵隊の行き場を探し反対に遭い沖縄に拠点を求める。

普天間基地は「第一次接収」で造られた基地である。ちなみに普天間代替施設建設地として日米両政府が狙う同じく海兵隊基地であるキャンプシュワブは「第三次接収」で造られた基地である。

日本本土の米軍基地がすべて旧日本軍の基地か演習場を接収した形で米軍基地になっているのと違い、沖縄の米軍基地は上記にみるように米軍が民公有地を接収して造った基地が主である。

1953年12月5日に出された琉球列島米国民政府布告第26号の文面によると、米軍は1952年に対日講話条約(サンフランシスコ条約)が発効されるまでは、ハーグ陸戦法規第52条に基づいて沖縄の軍事基地を確保・使用してきたとしている。しかし52条は敵国の領土で現品を供給させる場合は即金か領収書発行し速やかに支払い履行すべきというものである。(ハーグ陸戦法規条文引用はココから転載)

                                                                                                                                                              

第五二條

現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ爲ニスルニ非サレハ、市区町村又ハ住民ニ對シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ、地方ノ資力ニ相應シ、且人民ヲシテ其ノ本國ニ對スル作戰動作ニ加ルノ義務ヲ負ハシメサル性質ノモノタルコトヲ要ス。

右徴発及課役ハ、占領地方ニ於ケル指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ、之ヲ要求スルコトヲ得ス。

現品ノ供給ニ對シテハ、成ルヘク即金ニテ支払ヒ、然ラサレハ領収證ヲ以テ之ヲ證明スヘク、且成ルヘク速ニ之ニ對スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトス。

このような条項が、米軍が沖縄の住民の財産を略奪し基地を造り永続使用する根拠になるとは到底思えない。

講和条約発効後の米軍による布告等には、一方的に日本国から切断/遺棄され米軍支配下に置かれた沖縄の住民としては異議があるが軍事基地の法的な位置づけはなされているのだろう。しかし、1945年から1952年までの普天間基地の建設及び使用は、ハーグ陸戦法規の私有財産没収を禁じた第46条に違反している。

                                                                                        

第四六條

家ノ名譽及權利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ、之ヲ尊重スヘシ。
私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス。

普天間基地は、米軍が国際法に違反し戦時中に沖縄の住民から私有財産を略奪し造った基地である。

(つづく)