みやぎブログ

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故郷から10000光年

 ──離脱! 恐怖! 彼は突きとばされ、取り残された──ありえない境に落ちこみ、わけもわからぬままに捨てられた、二度と想像すべくもないメカニズムの想像を絶する崩壊によって、場違いといえばあまりにも場違いなところに迷いこんだ男──途方に暮れ、打ちのめされ、命づなを断たれ、その十億分の一秒に、彼は自分のただ一つのきずなが切れ、飛び去ってゆくのを知った──長く長くのびた生命線が、遠のき、またたき、光を失い、永遠に消えようとしている──収斂する過動のなかにしりぞいてゆく、そのかなたに彼の故郷、生命、存在の唯一の希望があるのだ──奥深い顎にのみこまれ、溶けてゆくのを見ながら。ひとり漂い着いたそこは、決して理解できない、まったき異常の岸辺──あるいは、それは人間の快感を超える美なのか? 恐怖か? 無か? たしかなのは強烈な疎外ばかり──何であるにせよ、黙って踏みこんだそこに、彼の生命を、激しい混乱のもととなる異質の存在を受けいれる場はなく、怒りと勇気と狂乱にかりたてられ──圧倒的な拒否を主張するこぶしのように、全身を一つにかためてその地に反発し、見捨てられたまま──彼は何をしたのか? 拒絶され、放逐され、行きつくあてのないすみかへと進むどんな獣よりも死にもの狂いに、おのれの故郷を、故郷を、故郷を渇望しながら──方策もなく、輸送機関もなく、手段、車両、装置いっさいなく、頼りの力といえば、彼の最後にして唯一の命づな、消えゆくベクトルの果てを見すえる不屈の決意だけで──何をしたのかって?
 歩いたのだ、彼は。
 故郷めざして。

「故郷へ歩いた男」(The Man Who Walked Home)より。早川書房刊「故郷から10000光年」所収 by James Tiptree.Jr.(伊藤典夫訳)

「沖縄平和運動センター」のホームページをみると、9.30の普天間全ゲート封鎖も権力による弾圧/解除も、10.1のオスプレイ強行配備もなかったかのようだ。9.9県民大会の大きな告知の右上に「過去の行動実績」というリンクが置かれているのも、とてもアイロニカルでいい。すべては過去の行動実績なのだ。書かれるものに追い抜かれる行動の速度では生温い。

「沖縄平和市民連絡会」のブログのトップページでは、10.15〜26日までの野嵩ゲートにおける行動予定及び10月分の辺野古・高江への送迎車(ボランティア)の予定が告知されている。

どこにもまだ、「沖縄の全基地閉鎖へ」の行動ビジョンは示されていない。

私は、9.9県民大会の共同代表の座談会報道の感想を下記のように書いた。

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「各氏は、沖縄の民意を無視した日米両政府の強硬姿勢を一斉に批判し、万が一事故が発生すれば「全面基地閉鎖」の事態になると警鐘を鳴らした。」
と いうことだが、なんだかとてもさびしい。私は5人の共同代表も、沖縄の大先輩であり、特に異論や反論があるわけではないが、なんだか「事故が発生」するの を待っているようでさびしい。

万が一の事故の発生を待たずに、「全基地閉鎖へ」の行動を起こし警鐘を大きく鳴らすべきではないか。私にはそうとしか思えない。
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26日までの野嵩ゲートでの抗議行動を予定し県民の参加を得るのも、とてもいい。どうにかして抗議の意思を表し、オスプレイ撤回/普天間撤去を勝ち取りたい人々の思いは強く深い。26日以降のビジョンを、誰がどのように考え示すことができるのか。政治家か、平和運動団体のリーダーか。

おそらく政治家も運動体のリーダーも、有象無象である我々一人一人も、みな新たな地平に立っている。突然立ってしまったのかも知れないし、予想された地平を切り拓きながらここに至ってしまったのかも知れない。

年末年始の県庁での座り込みは、運動団体の行動ではなく、ツイッタ—やフェースブック、電話や口コミなどの呼びかけが広がり、世間一般の年末年始(そう、お役所の松の内だ)の隙間を自発的な市民の連帯が埋め、結果的に繋いだのだった。そこへの評価はそれぞれあるだろうが、事実としてそのようにあった。

今般の台風時の9月29日のゲート封鎖とて、本当に本気になって呼びかけあったメンバーが行動し、それを支えるために人々が速やかに断固として動き出した結果ではなかったか。

提供施設区域内でありながら基地のフェンスでは区切られていないゾーンでの行動とはいえ、法律違反であり県民運動としてはオーソライズされていないと腰が引けてる偉い人たちもいるようだが、圧倒的な権力と沖縄を弾圧する意思でみなぎった政府行為を前に、ではどのように抵抗すれば沖縄の本気さが示され状況を打開することができるというのか。実質的に沖縄にのみ適用される特措法を大政翼賛会的に可決する国会があり、憲法とて骨抜き(日本国憲法第95条をみよ)にされる日本国の現状で、沖縄はどのように闘うというのか。法は常に、民衆の非暴力不服従直接行動との緊張関係の中で公正性正当性が試され続ける性質のものであり、そうではないとするなら暗黒の絶対統治であり民主主義的でなど断じてない。

沖縄の全自治体が、首長及び議会が反対の意思表示をしている。それでもなお粛々とオスプレイは強行配備された。首長及び議会が、主権者である住民からの付託を受けて行政権力を行使する権威を帯びているのだとしたら、その意思が無視される事態に対して、総力をあげて抵抗しなければ権威も糞もありはしない。沖縄の自治体の首長及び議会は、中央政府権力が許す範囲内の事柄を住民に威張り散らして講じることができる程度の権力と権威を条件付きで有しているだけだ。それは「自治」ではなく統治における余分を与えられているだけである。

かくして、現段階で問われているのは、我が沖縄の行政権力は自治ではなく統治の余分を任されている存在だという現実である。しからば、我々は。

論が走り過ぎているだろうし、飛躍も陥没もあるだろう。しかし、オスプレイ強行配備されるまでの沖縄の日常と、オスプレイ強行配備された今日の沖縄の日常が違うことは明白である。同じだとしたら、同じであることの問題が顕現したという意味で違うことは明らかである。

沖縄における行政も議会も、運動体も、政党も、すべてがそれぞれの立場におうじて、それぞれの立場を超えて問われている。かかる事態をどのように認識し、打開し、明日を目指すのか。

「沖縄の全基地閉鎖へ」を誰がどこが言い出すのが一番適切なのか。ブログやツイッターで自身の意見を垂れ流している私などより、議会や諸々の社会的現場にいる人はたいへんだろうと思うが、だからといって、動きの鈍さや不作為で起こる事態で被害を被るのは市井にある庶民であり、責任ある人々は責任の重さから逃れることは許されない。市議会議員でなくなって以来、だれかの声を代弁したり代表することなど金輪際しないと決めている私は、悶々としながら状況をみつめ、どのように私なりのアクションをとるべきか考え続けている。市民として行動し、要請すべきは要請し、自身の怠惰を甘やかさず公的領域への働きかけをすべきなんだろう。

海兵隊の諸君には故郷に帰ってもらおう。1945年の沖縄戦以来、突きとばされ、取り残された──ありえない境に落ちこみ、わけもわからぬままに捨てられた、沖縄の我々とて、故郷めざして歩き出すしかない。──1972年の「復帰」は、故郷への帰還ではなかった。だとするなら我々はどこに向かって歩いて行くのだろう。行きつくあてのないすみかへと進むどんな獣よりも死にもの狂いに、おのれの故郷を、故郷を、故郷を渇望しながら──方策もなく、輸送機関もなく、手段、車両、装置いっさいなく、頼りの力といえば、彼の最後にして唯一の命づな、消えゆくベクトルの果てを見すえる不屈の決意だけで──何をしたのかって?
 歩いたのだ、彼は。
 故郷めざして。