宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

0928-30普天間飛行場大山ゲート&野嵩ゲート

今日は10月1日。岩国基地から飛び立ったオスプレイは、午前11時過ぎに次々と普天間基地に着陸した。これからを考えるためにも、ここ数日を簡単に振り返っておく。

0928/大山ゲート

朝8時半頃、相方の運転する車で子どもを保育所に送りながら、そのまま私は普天間基地まで送ってもらった。パイプラインの入口付近で下ろしてもらい、ひとり坂道をトボトボ歩いた。ゲート前での集合時間もなにも聞いていない、一般市民の私はちょうどゲートに向かって抗議団が歩道をデモ行進から車道に流れ込み座り込む場面に遭遇して、わけもわからないうちに駆け出して座り込みの一員になってしまった。

それからは、県警のゴボウ抜きや諸々を初体験することになる。県警の強引な排除は都合二回あったが、私は一回目で一回(その後、速やかに座り込みに戻る)と二回目に二回(三回目はなぜか抗議団のスピーカーを担いでいた)ゴボウ抜きにあった。重たい私は4人から5人がかりで抱えられた。ゴボウ抜きされる仲間には高里鈴代さんの姿もあった。鈴代さんらは、65歳以上の高齢者で逮捕覚悟の志願者をゆるやかに(なおかつ決意に満ちた)組織していた。

(アキノ隊員による動画/2012.9.28)

度重なる機動隊の攻撃も凌ぎ、座り込みスペースは死守された。台風対策でゲートは米軍により内側から閉じられたこともあって、我々は座り込みを解いて暴風警報解除後に集合することを確認し解散した。昨日の野嵩ゲートに続いて、大山ゲートも市民の非暴力直接行動により封鎖された日であった。迫り来る台風の影響による雨もあって、ほんとうに疲れたが、疲労の中に達成感があった。年末年始の県庁の活動で知り合った基地反対活動の仲間である横山知枝さんの車に途中まで同乗させてもらい、その後は国場のCOOPまで家人に迎えにきてもらい帰宅した。

翌29日は台風で、我が家は長時間停電になるが、iPhoneで情報収集。台風の中での市民有志による呼びかけあいで、大山ゲート前に車両が止められゲートが完全封鎖されたことを知った。

0930/大山ゲート&野嵩ゲート

【大山ゲート】
台風による停電が続いている中、早朝5時半に家族の協力で大山ゲートまで送ってもらった。iPhoneは電池切れで充電器に差し込んだまま置いてきた。

大山ゲートはパイプラインの入口付近で検問がされ一般車両は通行できない状態になっていた。ゲートに向かって歩き出すと、ちょうど機動隊の装甲バスが続々と到着するところだった。数えると7台あった。

普天間基地のメインゲートである大山ゲートは12台の車両で封鎖中。徹夜で封鎖し死守していた平良夏芽や仲間達の姿があった。話を聞くと機動隊の装甲バスが3台徹夜で配置されていたらしい。私がみた7台と合わせて10台の機動隊装甲バスである。1台に30人として300人の機動隊員投入である。

Imgp1259 県警の我々の排除理由は、駐車禁止地域における違法駐車である。ここは日米地位協定に基づく提供施設/区域内であり、管理権は排他独占的に米軍が有しているはずである。その場所における日本国の法律に基づく駐車禁止云々はおかしいと我々は主張(※)したが、明確な応答説明もなく県警は強引に我々を排除し、車両をレッカー移動させると恫喝し一部車両については実際にそうした。車両には女性や主に高齢者の参加者が乗り込んでいたが、全員恫喝され降車を余儀なくされた。(写真は排除され隔離され叫ぶおっさん。辺野古浜通信のn_n さん撮影)

私は所属組織のない一般市民でしかなくその立場で参加しているので、運動の方針や局面における集団的意思決定の内容は知らないが、封鎖していた車両を粛々と我々の仲間が自ら運転して封鎖を解くのは釈然としなかった。ましてや持ち主がそこにおらずキーがない車両のみレッカー移動され、レッカー代と罰金を個人責任に帰すようなことがあってはおかしいと思っている。その点については、平和運動センター事務局長の山城博治さんは本日の野嵩ゲート前での集会で、ケガ人や不当留置者等がいないかの確認も含めて全体を把握した上(ほんとうに多くの団体と同時に自由な市民参加を得て運動総体は成り立っているので、瞬時にすべての細部を誰かが何処かが把握できるものでもない)でしっかり対処すると明言している。山城氏は自治労出身だが、現在の沖縄における平和運動が到達した住民運動体や市民グループなどと労組や既存の平和運動団体との共闘および生成過程である新しい運動のありかたを大切にできる人物である。しなやかで強固な団結と運動の方向性と質をつくりだす上で大切なリーダーである。年末年始の県庁でもそうだったが、今般のオスプレイ阻止闘争の中で改めて私は実感した。

いずれにしても、大山ゲートの封鎖はそのように始まり解かれた。

(※)本日の沖縄タイムスによると、県警は道交法に規定する「一般交通の用に供するその他の場所」の「その他の場所」と判断して、道交法違反を適用しレッカー移動したということだ。防衛局が何故に辺野古に建設計画した「軍民共用空港」の民間部門事業主体になれるかと批判指摘した際に防衛省設置法第四条19号における「関すること」であり適法としたのと同じ屁理屈、言いぶさ勝手ぃである。

【野嵩ゲート】
大山ゲートを離れ、私はもうひとつの封鎖された野嵩ゲートに向かった。

16時過ぎに着いた野嵩ゲートは封鎖している車両の前で座り込みと小集会がなされていた。その小集会の様子を眺めながら、相方が差し入れた数十個のおにぎりをまわしていただいたりゲートの中を(これまた充電完了して持ってきてくれた)iPhoneで撮影してネットにアップしたりしていたら、ぼちぼちと機動隊が動き出す気配に緊張して座り込む。

199881_228164593978602_1633927056_n参議院議員糸数慶子さんも駆けつけてくれた。あまりにも理不尽な政府の対応への憤りと、ここで踏ん張らなければとの決意について笑顔まじりで会話しながら隣り合わせで座った。機動隊の動きがなかなか掴めない中で、陣形を強固にするために車両の配置を変えたりしながら整えた。
今般の一連の行動では、高齢者の方々のラジカルさと女性達の自発的な動きが目立った。私の知る限り国会議員にしても、ゴボウ抜きされる覚悟で自発的に座ったのは糸数慶子さんひとりであった。野嵩には衆院議員玉城デニーも来ていたが、彼は糸数さんと私たちが座り込んでいるのを眺めてるところを、彼の存在に気付いた座り込みメンバーに小集会で紹介され発言し人々に促されるまま座った。

基地内からは米軍による立ち退き勧告のスピーカー、国道側からは県警によるスピーカー。異様な雰囲気で19時過ぎに機動隊による排除が始まった。激しい攻防が続き徐々に座り込みの仲間はゴボウ抜きされ排除されていく。ケガ人も続出し、救急車を呼ぶことになる現場にも遭遇し、猛抗議の末、県警の責任者を呼び出し救急車搬送が終了するまで一切手を出させずにケガ人を運び出しもした。最終列にいた私は若い機動隊員に座り込み排除の不当さやオスプレイ配備に反対する県民の願いを実現するために米軍の言いなりになってはいけないことなどを主張し抵抗したが5人がかりで担ぎ上げられ抜かれてしまった。白い指揮棒を持った機動隊員が「宮城さん、おとなしくしてください宮城さん」などと名前を連呼し抵抗する私を眺め笑いを浮かべてた。ほんとうにこの数年間、人前に出ることもなく生きてきた私を知るということは指揮棒は97-02の名護の状況を生きた私を知るウチナンチュなのだろう。ウチナンチュ同士が戦わされる滑稽を私らは真摯に闘い生きた。指揮棒への怒りはない、私は興奮の中の底の底でただただ悲しかった。

0930 私が運ばれたのは、収容所だった。歩道側に警察官の制服を来た機動隊が立ち並び、三辺を機動隊の大型装甲バスが囲んだ、幅車両一台分長さバス二台分のスペース。座り込みメンバーの全員と国会議員も弁護士も、大勢の老若男女がそこに収容監禁された。監禁は3時間にも及んだ。トイレも許さない、差し入れも許さない。人権侵害甚だしい不当監禁である。交渉の末、国会議員は解放された。続いて女性達がトイレという理由で解放された。それ以外は、激しい抵抗と抗議を受けても解放することを頑に拒まれた。我々が監禁されてる間、ゲートを封鎖していた車両がレッカー移動されていた。収容所外の仲間達の機動隊への抗議と抵抗の凄まじい声と音が聞こえた。
時間ははっきりとは覚えていない。22時半頃だったろう、収容所のゲート寄りではない歩道北側の機動隊による人間バリゲートが空けられ我々は出された。暴力的な監禁、なんら説明もアナウンスもないなしくずしの解放。剥き出しの暴力だけが支配の道具であり支配者である空間。

ゲート前では最後に残った一台の街宣車と、その上に座り込む8人。街宣車の前に機動隊の指揮車。ゲートへの引き込み道路の空間は県警が設置したバリゲートで封鎖されていた。どうにか最後の封鎖車両に近づこうと考えたが、差し入れをさせるかどうかの攻防を巡って、県警側が誰かをパクろうと挑発している様子を感じた。ちょうど電話をするために、その場を離れた私は、最後の街宣車に残っていた8人が下りてくるのを拍手で迎える様子を離れたところからみた。
しばらくして、弁護士と平和運動センターや主な団体のメンバーらが協議をして長期化するであろう明日以降の闘いに備えて、ここは逮捕者を出さず引く方針に至ったことを人づてに知った。もちろん最後に残った街宣車上のメンバーの了解(事前にせよ事後にせよ)を得た上でのことであろう。
23時半になっていた。私は最後の小集会にも参加せず、それを離れた場所で眺めていた。友人の佐藤学さんと偶然会い、遠方の我が家まで車で送ってくれと図々しいお願いをして送ってもらった。(学さんから車中お聞きしたアメリカの大統領選や上院議員選挙等の政治状況と海兵隊の危機感溢れる立場やそれ故の日本政府へのプレッシャー掛け等は面白いので改めて受け売り生半可通エントリーを書く。沖縄がいま行っている動きはスコブル状況を切り開く可能性があると私はおもう:)

本日(10月1日)も野嵩ゲート前での集会をはじめ、様々なオスプレイ強行配備に反対する取り組みが行われている。ここ数日間、市民投票以来の決着をつけるためにも「オスプレイ阻止」「普天間撤去」のこのタイミングとアクションは大事だと身を乗り出し動いたが、今日はまた引きこもりに戻り子どもの保育所送迎以外は終日家にいた。

やるべきことをやろうとおもってる。

【追記】ここで私が書いていることは、書いた時点で私が体験し知り得ていることです。その後、いろんな人々から情報を得て知らなかったことや勘違いしていたこととかもわかってきています。ある程度の全体像がみえてきたら、重要な間違いだと思える事柄については修正しますが、いまは書いた時点でのままにしておきます。(10.04/12:45)