宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

9.9沖縄県民大会以後についての私見

更新を止めていた間に、あっちこっちに散らかしていた断片(比較的まとまっているもの)を拾い集めて放り込んでいる。なかなかイマに追いつかないが、だからなんだというレベルのことで不都合もなにもない。ぼちぼちとやっていく。

オスプレイ配備に反対する「9.9沖縄県民大会」があった。私は、日本政府によるオスプレイ強行配備は必至だと思っている。その強行に対して、沖縄はどう対峙するのかが問われている。

沖縄県の全市町村議会がオスプレイ配備に反対する意見書を可決している。地方自治法第99条に基づき「日本国政府及び国会」に対する沖縄の意思は明確に示されている。かかる事態にも関わらず、日本国政府が米海兵隊の沖縄へのオスプレイ配備を強行させるということは、沖縄には憲法に規定された「地方自治」も、地方自治法に規定された地方公共団体の責務も、日米安全保障条約で日米両政府が許容しうる範囲内での「自治」しか認めないということの冷徹な宣言である。米軍の高等弁務官が「自治は神話」と沖縄人民に宣言したときから、状況はなにひとつ変わらない。

このように事態が推移する中で、オスプレイ配備に反対する意見書を可決している県及び市町村議会はどうするか。地方自治法第99条に基づく意見書に法的強制力などないのだからと諦めて、強行配備後には粛々と強行配備反対の意見書を可決して、例によって沖縄防衛局や外務省沖縄事務所や米軍に抗議や要望陳情や要請をしてくるか。

事件や事故が起きるたびに、綱紀粛正が求められ語られる。永久機関のような繰り返しの連なりの中に、今回のオスプレイ配備が入り込むことで、1945年以降の沖縄の歩みに決定的なメルクマールをつくりだす。1996年のSACO合意で日米両政府が目論んだ老朽化した普天間基地のスクラップ&ビルド計画を阻止し、長き将来にわたって基地の島であることを選択しないと踏ん張ってきた沖縄が、全市町村議会オスプレイ配備反対意見書を無視され是認するのだとしたら自らの自治を形骸化したものとして認め、その中で奴隷の如く生きることを選択するに等しい。

日米両政府は、沖縄県民の安全性への懸念、何故に沖縄なのかという差別への憤りについて納得できる説明(つまらん地政学や抑止力論は耳タコだからヤメてほしい)を成し得ていない。

などということを思いつつ、私はフェースブックに「オスプレイ配備強行阻止の戦列に全地方公共団体議員を」というノートを書いた。8月20日のこと。ノートは書きかけだが、多分私は続きを書くことはないだろう。私の提起は、オスプレイ強行配備の際には基地のゲート前での抗議の最前線に議員が陣取り、全員ごぼう抜きで逮捕されるべきというもの。私はイマでもそう思っている。

私のノートをOAMという沖縄の自律メディアの西脇が面白がって、「オルタナクール」という番組にゲストで呼ばれたので、酒飲みながら話してきた。その中継録画はここでみれる。⇒http://www.ustream.tv/recorded/25219854

沖縄では本土からやってきたカルト集団が「中国が攻めて来るぞ!沖縄占領するぞ!」と一生懸命脅している。沖縄に対して自身がやったことなのだから、相手も絶対やると思い込み妄想をたくましくしている影に脅える連中がいる。そう、日本国は沖縄を武力で併合した。そのことですら忘れて「固有の領土」論を喚き立てる。どうかしてるとしか思えない。

日本政府の沖縄へのオスプレイ強行配備は、どのようなお為ごかしの言葉や行為を重ねても、沖縄戦で捨て石にし天皇メッセージで米軍に期限付きで割譲した沖縄にだからこそ行なえる「強行配備」である。沖縄は、ギリギリのところで踏ん張っている。