宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

漂流こそ希望(沖縄の施政権が日本国に返還され40年)

下記は「うるまネシア」(第14号/2012年5月15日)の特集(それぞれの「復帰40年」)に寄稿した文章。今年の始めに書いたような気がする。大勢の方の「復帰40年」に関する論考が掲載されている。私は、いまだすべての論考に目を通せていない。

漂流こそ希望—再包摂40年は一貫して排除の数百年

 『同盟漂流』というタイトルの本がある。発刊された年(1997)は、本の主題にも関わる新基地建設の名護市民投票の渦中だった。日米安全保障条約を「同盟」と呼ぶことへの違和感や、あれからそれこそいろんなおもいが、まるでつまらぬコトにこだわる子どものダダの如く「漂流」し続けている。漂流は、支配的なメディアに無視されることによってそうなるのと同時に、必然的にそうならざるえない自律的行為である。

 「復帰40年」という節目に対する冷めたおもいと、日本国を相対化し乗り越えていくしかこの先の道はないという確信。沖縄の行政とて乗り越えるべき日本国と決して別物ではない。おそらく、琉球処分以前から薩摩侵攻の頃から、それ以上に琉球国とて—そう、日米の軍事植民地状況に抗うために琉球というアイデンティティを呼び寄せても、それで出口が見いだせるという楽観的な物語などどこにもない。沖縄は—漂流し続けてきたし、漂流し続けている。「復帰40年」というメルクマールに、国家という支配のテリトリーから漂流することをおもう。

 1997年の名護市民投票で反対多数になった新基地建設を、稲嶺沖縄県知事と岸本名護市長が条件付きで受け入れていた年月は革新の人々により「失われた10年」と呼ばれる。防衛事務次官であった守屋氏の著書『「普天間」交渉秘録』では、沖縄側の「引き延ばし」「二枚舌」が綴られている。守屋氏の記述は一方的で、沖縄側の条件をなし崩しにしていった政府の非道さを見抜くまなざし/読解力が要求される。しかし、そこで語られる沖縄側の行為はまったくフィクションではなく「事実」の語り方/騙り方である。

 新基地建設を巡る沖縄の行政的/政治的な現在は稲嶺進名護市長が反対し、その名護市の反対を論拠に「時間がかかる」「事実上不可能」と「県外移設」を主張する仲井真沖縄県知事がいる。そのことをしてオール沖縄で新基地建設に反対しているといわれるが、県知事の「県外移設」は名護市の反対が論拠である。稲嶺名護市長が任期中に賛成に転じる可能性は皆無に等しいが、しかし稲嶺氏は市長選の最中に「岸本市長は基地を造るつもりはなかった」と言ってのけている。まるで守屋氏の「引き延ばし」「二枚舌」という記述の裏書きである。

 市長選の最中に何故にそのような発言をしたのか真意は知らないが、自衛隊の戦艦さえ出動する状況を非暴力で闘った民衆は造られるはずのないものを阻止するために闘っていたのではない。2010年に稲嶺名護市長が誕生する背景には、明らかに日本国政府の政権交代への期待と希望があった。現在のまま推移していけば、2年後の名護市長選挙(2014.1or2)では新基地建設を巡って5度目の名護市有権者の民意を問うことになる。

 名護市における辺野古区や豊原区の「誘致派」ともいうべき人々、自公系の政治屋や投票行動をする人々。その動向を「一部」と切り捨てる現在の名護市側の首長や多数派議員の言説がある。私は「失われた10年」の岸本名護市長時代をつぶさにみてきた。名護市が突きつけた条件というハードルが政府によりなし崩しにされていく様と、投下される振興資金とそれによる行政のモラルハザードともいうべき状況を。

 私は岸本市長が基地を造られても仕方ないと思っていただろうことは確信を持っている。米軍再編時に陸上案を避けたいがためにリーフ内を埋め立てる浅瀬案を支持したのは厳然たる事実だ。現在の名護市の政治状況については何も知らないので、見当外れかも知れないが(そうであって欲しいとも願うが)「誘致派」ともいうべき人々が名護市民のほんの「一部」で圧倒的大多数が新基地建設反対だとは思えない。「一部」でしかないかもしれない彼ら彼女らが首長選挙で勝利するほど支持を調達する可能性はある。それが民主主義における選挙であり闘争である。新基地建設に賛成していた議員や幹部職員が、政治情勢の変化で反対に転じたのと同じように充分ありえる話である。

 地方公共団体の首長や議員という選挙政治によって得られる権力と権威だけに依拠して、沖縄の社会的諸問題(特に基地問題)を解決できるとは誰も考えないだろう。そうであるなら「失われた10年」とやらで既に新基地は建設されている。そうではなく国家行政権力に真っ正面から対峙し続け、新基地建設はさせなかった—「失われた10年」ではなく—「失われなかった10年」がある。

 昨年から今年にかけての年末年始の県庁での出来事は、エスタブリッシュな運動体とも違う市民有志の自発的自律的な行為であった。緩やかで確かな連帯は、「失われなかった10年」の先に「見出された時」である。名護市を離れ久しく引き蘢っていた私は、爽やかで確かな衝撃を受け入れた。

 沖縄は、日本が近代国民国家になっていくプロセスで最初に包摂した植民地であり、帝国主義的侵略の末の敗戦後手放したが唯一再包摂したテリトリーである。この包摂/再包摂には排除/植民地主義が内包されており、その矛盾が沖縄を苦しめ続ける。

 前者の包摂は大日本帝国の行為であったが、再包摂は日本国憲法を有する民主主義国家行為であり包摂する主体は同体ではないはずだ。然りである。

 憲法の上位に日米安保がある転倒状況を撃ち、闘い続ける武器と道理を沖縄は有している。再包摂40年、今なお続く差別的な軍事植民地政策に対する沖縄の抵抗で「同盟漂流」するのであれば、日米同盟など解体されればいい。

 このような国民国家からの漂流こそ沖縄の真の姿ではないだろうか。漂流こそ希望である。