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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

沖縄から政治考

20070929_2

自民党は次期衆院選公約のたたき台となる「国家戦略本部」報告書で、普天間辺野古移設推進の方針を示している。(7.23琉球新報

新聞記事を読んだだけだが、日米地位協定についても「運用改善」どまりで旧態然、安全保障分野での自民党民主党の違いはみえない。

二大政党制、政権交代、ここ数年の政治的喧噪からは、大山鳴動ネズミ一匹出てこないどころか雨降って地固まる如くダメさ加減の深まりしか感じられない。

普天間飛行場に対する自民党沖縄県連の政策は「一日も早い普天間飛行場の危険性の除去、県外・国外への移設を推進」である。公明党民主党も似たり寄ったりで、政党本部の政策と沖縄支部の政策は目も当てられないねじれをみせている。

鳩山首相辺野古回帰したときに、なんらアクションを起こせなかった民主党県連。私は憤りにまかせて「いまカッコつけないで、いつカッコつけるというのだ」とブログに書いた。現在も状況は何ら変わらない。

[E:foot]

7月27日には、民主党県連代表の発言が新聞で報道されていた。曰く

「県連が普天間飛行場の県外移設に向けて努力している時に、一部の誘致促進派と共同で作業を進める姿勢は県民感情にそぐわない」

というものである。(7.27沖縄タイムス

「県民感情にそぐわない」という言葉に私は違和感を覚える。子どもじみた半畳の入れ方だが、県民感情に配慮しつつの政策実行ならいいのか?というのが率直な感想でしかない。同記事には、県連代表代行の「県連として意思を示せ、という趣旨は理解できる。市民と県連が相互に協力して行動していこう」という言葉もあるが、何故に辺野古移設に反対する市民が辺野古移設推進を政策とする政党の県連と相互に協力して行動していかなければならないのか理解できない。

民主党県連代表の「県民感情にそぐわない」発言に呼応するかのように国会(7.27衆院外務委員会)で外務大臣は、2プラス2共同文書で「負担(バーデン)」が「影響(インパクト)」に変わったことについて答弁する。(7.28沖縄タイムス

「沖縄の皆さんからみると実感が反映されていないと感じるのは否定できない。押しとどめられなかったことは大変責任を感じている」

沖縄は異や怒を唱えながら、政治的には完全に政党政治の枠組みに取り込まれ咀嚼される異物と化している。このまま「県民感情」だけを振りかざしても、ていのいい言葉でごまかされ消化されるだけである。しかし多様な民衆の運動は、「県民感情」に棹さしながら着実に具体的な問題点をつかみだしている。政治のダイナミズムは民衆の中で胎動している。異物こそが生物である。

[E:foot]

ノンフィクション作家の佐野真一氏は、琉球新報7月18日掲載の寄稿文[「沖縄」その後の激動/上]で。「民主党政権の沖縄に対する罪」として

普天間辺野古移設に反対している名護市への補助金を打ち切るなど、自民党でも恥ずかしくてできなかったことを隠れてやっている。

と記している。(7.26地元紙で識るオキナワ

確かに民主党政権辺野古会回帰という決定的な沖縄遺棄の罪を犯しているが、佐野氏が指摘する「再編交付金」は自民党政権時代にできた法制度であり、自民党は「恥ずかしくてできなかった」のではなく、当時の名護市長が「再編」(=辺野古新基地建設)を受け入れているからする必要も理由もなかっただけである。

再編交付金制度がもたらした顛末は「民主党政権の沖縄に対する罪」とするだけでは不十分である。これは日本国が国会で審議し可決した法制度がもたらしたものであり、「日本国の沖縄に対する罪」と把握すべきである。

しかし「再編交付金」は沖縄にのみ適用される制度ではなく、岩国や在日米軍再編に関わる各自治体をコントロールする手段として機能している。世界遺産屋久島の近傍にある馬毛島に戦闘機の基地を造るためにすでに水面下で金の計算・提示がされていることは想像に難くない。

国策に賛成するなら金をあげる、反対なら金はあげないが国策は遂行する。これほど地方自治・主権者の意思を侮蔑蹂躙する法制度はないだろう。これをこのまま放置し国家を増長させることは、主権者/民衆にとっては百害あって一理なしである。

底なしの米国への隷属ぶりに、何らかの「陰謀」を読む人たちもいるだろう。政治の世界に権謀術策がないはずはないが、過度な陰謀論は悪しき状況を補完するだけである。状況を変革していくためには、具体的に歩むしかない。「再編交付金」は今からでも議論し廃棄させるべき悪法制だと考えている。

名護市はすでに、再編交付金などに頼らない施政に転換している。同情に値する沖縄があるのではなく、救いようもない植民地主義の日本国がある。飲み込まれ咀嚼され続けているが、消化されない異物である沖縄から状況を切り拓く新たなる「政治」は生まれるだろうか。

下地幹郎衆院議員の動向、安波での誘致行動。基地問題とは別になるが泡瀬干潟埋め立ての問題。それらを巡る政党と議員のちぐはぐ。中央政党と県連のねじれだけではなく、県連と支部もねじれている。政党政治などすでに死んでいるのかもしれない。一括交付金問題、県の肥大化への危惧。すべてが沖縄である。否応無く明日は来る。まちぶった糸を解きほぐすように、世界をみつめてひとつずつ動かすしかない。