宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

言葉を失っていられない

【言葉を失う】

人はどのようなときに「言葉を失う」のだろうか。私たちが遭遇している、辺野古への新基地建設をめぐる様々な動向に「言葉を失う」という感覚を得ることは、言葉としては適切なのだろうか。

建設に伴う環境問題に関するデタラメな対応然り、日米で言い分が違う基地の運用に関する諸般然り、政治的意思決定のあり方に関する傲岸然り。1996年のSACO合意以降、1997年の名護市民投票の結果を得てなお、基地を押し付け(受け入れ)てくる政治状況に、人々は抗い、環境アセスや様々な局面で「法」や共通のものさしになる「科学」や「事実」に基づき適切かつ粘り強い態度を貫いてきた。10数年に続く長いプロセスを経て、沖縄県民は新基地建設に反対するコモンセンスを自らのものにした今日がある。

それにも関わらず、新基地建設を沖縄に押し付ける日米両政府の合意がある。私は合意そのものに、憤りや様々な感情を覚えるが「言葉を失う」ことはない。問題は、日米合意が実現可能かのごとく振る舞い続ける日本政府であり、そのような選択肢しか選べない政治の貧困の底無しさ加減である。

政府職員や政治家には、一部反対派による反対のための反対のようにみえているのだろうか。そんなことで10数年にわたり、人々が抵抗し続けることができるだろうか。行動する人々の背後には、民意の後ろ盾があり、選挙等により反対を表明する首長が当選するという現実がある。

政府は今月にもある名護市議選の結果や、11月の県知事選の結果により、状況を政府の意に沿うような形で推移させるべく動いている。当然ながら自治体の選挙は、様々なイシューが絡まり結果が出る。この10数年を生きてきた私たちは、沖縄が政府と協調し新基地建設を推進する現実をも体験した。選挙結果がどう出ようと、新基地建設を進めようとする限り、環境問題や基地の運用や、地位協定の壁や様々な問題が迸り出る。この10年余で提出された問題は何一つ解決していないし、むしろ自治体の権利を認める「基地使用協定」や「環境配慮」「住宅上空飛行回避」など政府/自治体の言い分のメッキは剥がれ続け裸になっている。

それでもなお、これを実現できると考えている政府の態度をみるかぎり、沖縄は日米安保体制のための軍事植民地以外の何者でもない。名護市議選で現職市長に対抗して政府と交渉しようとする勢力や、辺野古地域のボスたちは、軍事植民地体制に巣食う反動派以外の何者でもない。

沖縄の施政権が日本国に返還される際に、イモハダシ論で復帰に反対した沖縄の保守勢力の精神と、名護市で新基地建設を推進する政府と協調し利益を得ようとあがく勢力の精神は同一である。反動は排斥され復帰は成されたが、新基地建設は成されるだろうか。沖縄の民衆が望んだ本土復帰そのものの帰結が、沖縄戦で住民を隔離している間に米軍が日本本土攻撃用に作った飛行場を、民衆の反対の声と行動を押し殺して新たに沖縄に作り直してあげることだという現実は幾重にも酷い。

沖縄を軍事植民地とする日本政府及び日本国内のマジョリティの開き直りぶりには「言葉を失う」が、私たちは言葉を失っていられない。

私は仕事も何もかも投げ出して、市民投票以来この問題に向き合ってきた。いまは投げ出したものを手繰り寄せるように、金を得るための仕事をし、料理をして喰って片付けて、洗濯をする当たり前の日々を生きている。当たり前の暮らしを守るために、私たちは戦わなければならない。戦うための言葉を探し続ける。それが「なごなぐ雑記」を書き綴る動機である。

コメントも、メールも、ありがとう。感謝します。少しずつ、はじめていきます。^^