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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

元気です

拝復

この頃は、自ら何かを発信する気力なく、沈黙を友としています。
なんだかいろんなことが、繰り返しの中にあるような気がして、先に進まないことに対する焦燥感もありますが、私が焦ったところでなんになると小さく笑う日々です。

日本国は政権交代してなお、沖縄の位置を変えることはできませんでした。沖縄とて、民主党県連は脳死状態、一部の人々が叫んでいた「自己決定権」と威勢はいいが具体性を欠く言葉はスローガンにすらなりえませんでした。社共と運動団体や諸個人が、知事選に向けて動き始めているようですが、現今の状況の中で県民にいかなるビジョンを示し支持を調達できるかはわかりません。

1997年に名護市民投票を行った際は、大田革新県政ですらが「名護市と国の問題」と逃げていました。あの状況のなかで、市民が示した一票一票をどのように受け止め、どのような未来を切り拓いていくのかが問われていましたし問われ続けています。

1999年に稲嶺県知事、岸本名護市長が条件付で新基地建設を受け入れて以来、名護市で行われていたこと、沖縄が歩んできた道のりを、なかったかのようにすることでは現在の局面を乗り切ることはできないと思います。

9月には名護市議選が行われます。稲嶺名護市長は新基地建設に反対の意思を明確にしていますが、「岸本前名護市長は基地を作るつもりはなかった」という稲嶺氏の選挙中の発言が私にはどうしても看過できず、そのような発言のもつメンタリティが及ぼす弊害は大きいと思っています。名護市議選で現在の市長派陣営が勝利するには、私が「誘致派」と断じた新基地建設に地域経済の活性化を目指す人々を論破しつつ支持を調達しなければなりません。岸本前市長の時代から連綿と続けてきた新基地建設に伴う名護市行財政の不合理を明確にすれば、活性化どころか名護市民共通の財産が食い潰されていることがわかります。岸本前市政の批判的検証なくして、今般の状況からの脱却はありえません。私が前掲発言のもつメンタリティを危惧する所以です。市議選で野党多数になると、名護は有権者意思決定ゆえとはいえ混乱するでしょう。心が痛いです。

おそらく政府は、行政的政治的にポスト沖振計で沖縄を懐柔するためのあらゆる手段を講じてきます。沖縄の政党・政治家は、基地問題等の政治的争点には威勢いいが、行財政など現実的な諸制度に関わることになると明確なビジョンが見えにくい。有権者基地問題だけで投票するわけでないのは自明ですし、有権者基地問題への強い反発、それこそ最近流行の「怒」に寄りかかるだけでは、支持調達を危うくしかねません。

しかし、これらは、昨日今日始まったことではありません。1999年に稲嶺県知事、岸本名護市長による条件付受入れ表明がなされたときは、まさしくポスト三次振計が模索されていた時期でもありました。繰り返し、まったく同じとはいえなくても、少なくとも構造的には同じことの繰り返しの中で、先に進まなければならない。

先に進むために必要なのは、なんなのか。いろんなユニークな登場人物や諸団体個人も増えて、かつてと現在は明らかに違います。その意味では、私は私自身の狭い見方から絶望など導き出す気はさらさらないし、無責任な期待と希望を抱く気もありません。この10数年を振り返り現在を見つめ、連続線と断絶の狭間で、私は自らの人生そのものの歩き方を自問しながら、沈黙を友とする日々です。元気です。

ご紹介いただいた方と、8月に沖縄でお会いできるのを、楽しみにしています。

敬具