宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

OKINAWA:COLD WAR ISLAND

今朝の新聞に『28日に日米合意文書』の見出しが出ていた。記事はざっと読んだが、予想された範疇の内容であり驚きはなしないが、日本政府(官僚も政治家も)は恥ずかしくはないのだろうかと思う。恥ずかしくはないのだとしたら、ある種の「信念」が自らを対象化し眺める感覚を歪めているのだろう。

情報収集精査し、整理して考えなければならないことは多いのだろうが、いまの私に余裕はないし力量もない。自分のために基本的情報や思考の断片を書き出しておく。

[E:pencil]普天間飛行場は、米軍の安全管理基準を明確に逸脱する異常な軍事航空基地である。都市のどまんなかに、このような基地が何ゆえに存在しているのか。米軍再編時の米国側の関係者は「あとから住民が集まって周辺に都市を作った。当初はなにもなかったのに」などと発言しているが、普天間は米軍が住民(地権者)を収容所に隔離している間に造った基地であり、土地を奪われた人々が周辺に住み着かざるをえなかった歴史的経緯をまったく無視している。普天間飛行場は、「沖縄戦」から連綿と続く歴史の延長で現在を問うている。

[E:pencil]米軍の安全管理基準を明確に逸脱する普天間飛行場のような危険な基地はなぜ存在しうるか。米国側からみれば、日本政府の問題であり、基地外に自らの権限は及ばない。日本側からみれば、「地位協定」により施設の運用管理は米国側の権限であり、基地外に関しては航空法・空港法などを適用除外している米軍施設に関わる問題であり法的強制力をもって周辺地域の規制ができない。普天間飛行場の「危険性」は、日米関係の歪さゆえに放置されている。

[E:pencil]在沖海兵隊はずっと沖縄にいたわけではない。日本国における米海兵隊は当初、1950年に勃発した朝鮮戦争のために日本に駐留していた米軍部隊が韓国へ移動する際に、その後方支援部隊として岐阜と山梨に配備。朝鮮戦争勃発で米軍基地が拡張されはじめると、占領軍(としての米軍)への反対闘争が日本本土で起こる。55年に日米安保条約が締結され、当時は日本国ではなかった沖縄に一部の米軍移転が始まり、沖縄に海兵隊が配備されることになる。1960年に普天間飛行場は施設管理権を空軍から海兵隊に移管され、海兵隊航空基地となる。沖縄の海兵隊の比重は徐々に大きくなり、1975年には在沖米軍を代表する「在日米軍四軍調整官」が陸軍司令官から海兵隊司令官に代わる。―過重な在沖海兵隊は「政治」の産物である。

[E:pencil]米政府の上院および下院における議会答弁には、「沖縄の海兵隊は日本の防衛任務には当てられていない」という記録もある。日米安保条約とはなんなんだろう。そのような存在を日本国の首相や外相らは「抑止力」と呼ぶ。日本国の防衛任務を持たないと宣する米国の軍隊を「抑止力」と位置づけ駐留させる主権国家。異議を唱えきれない国会。私は拙著『沖縄ラプソディ』でも書いたが、安保=「日米同盟」などという言葉が自明のごとく語られる現状に違和感を禁じえない。この国は、政府だけでなくメディアも識者もなにかが狂っている。―虎の威を借る狐に虎は「抑止力」だが、虎は狐の防衛任務はないという。*

狐の持つ軍事力とて相当なものである。その狐が比較にならない軍事力の隣の小国に脅え脅しつつ、虎を引き止めようとしている。虎は龍と協調しだす。狐は虎と龍の間での孤立を恐れ、ますます虎にすがる。やがて、だれも狐を信じない。狐自身ですら。

[E:aries]

おそらく、80年代末から90年代にかけて東欧で起こった冷戦の終焉を私たちはテレビで眺めた。世界はテレビの中で変化した。私たちの現実が変化しないことへの違和を感じもしなかった。なぜなら私たちは自由主義社会の中にいて、解放されるべき異なった体制の中にはいなかったから。私たちの世界では、冷戦を持続したい人々がいる。統治権力の側にそのような頭の人たちがいるらしい。そのために、米海兵隊が去ることを恐れている人々がいる。なかには利権を貪りたい政治屋もいるだろう。なかには極右の台頭を憂える官僚もいるだろう。時代は変わる。冷戦を終焉させ、近隣諸国とまっとうな関係を結ぶことで安全保障を成していくように、変えようとする意思を、今こそ持つべきときだろう。問われるべきは、日本国であり、民衆である。漫然と待っていては冷戦の鎖からの解放はない。


[E:sun]

どうころんでも、辺野古に基地を造ることはできない。あまりにも稚拙な杭式桟橋工法なども茶番でしかない。少女暴行事件に端を発する沖縄の決起を、自公政権が手堅く締め付け、名護市沖縄県を凋落してきたが、同じ手法で民主党政権が沖縄を落とすことはできない。「国外、少なくとも県外」という言葉に期待した沖縄は、後戻りできない地点を過ぎた。

『28日に日米合意文書』が出るのは、議会や諸々の対策における米国の都合もあるのだろう。日本政府がなにを考えているのかはわからないが、辺野古移設で出口を見出せるつもりでいるなら甘いとしかいえない。沖縄では、岡本行夫氏や様々な人物がチャネルが動いているようだが、同じ手法を通じさせるわけにはいかない。

民主党連立政権の功罪の功は、沖縄に封じ込められるなかで、人々が抗い続けてきた問題を、全国的なレベルで問題として明るみに出したことであろう。罪は、旧態依然の出口に出てふたをしようとすることだろう。だが、それが成るかはまだわからない。

沖縄は、裏庭ではない。はからずも、この国のまちがったありかたを変える玄関である。まちがったありかたで抑えつけられている現状の変革はそのようにしてしか成らない。

そんなふうに思えてならない。

[E:end]

この雑文のタイトルは、アメリカの民間シンクタンク「日本政策研究所 the Japan Policy Research Institute」がチャルマーズ・ジョンソン編集で1999年に発刊した書籍タイトルを拝借した。